五輪新で金メダルを獲得した小平奈緒選手おめでとうございます。
小平選手を陰で支えてきた長野県 相沢病院の話に感動したので紹介します。
<五輪スケート>「勝て」と言わぬ支援者 小平、金の恩返し
小平奈緒を救った 相沢病院の“無償支援” 無名の頃から支え続ける理由
<五輪スケート>「勝て」と言わぬ支援者 小平、金の恩返し 2/18(日) 22:50配信
【平昌・神足俊輔】一度も「勝て」と言われたことがない特別な支援者に、恩返しした。
平昌冬季五輪は18日、スピードスケート女子500メートルに小平奈緒(31)が出場、金メダルを獲得した。
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p>信州大学卒業後、実績の少なさから所属先が決まらず、競技生活の続行も危ぶまれた。
その時、手を差し伸べてくれたのが「相沢病院」(長野県松本市)。
五輪新記録で頂点に上り詰めた女王は「みんなに『ありがとう』と伝えたい」と目を潤ませた。2009年の大学卒業間際。小平は苦境に立たされていた。
大学での主な実績は、2年時の全日本距離別選手権1000メートル優勝と、4年時の同選手権1500メートル優勝などで、世界に広く知られる存在ではなかった。小平は競技続行に当たり、同大教授の結城匡啓(まさひろ)コーチ(52)の指導が受けられる環境を希望した。
だが、当時はリーマン・ショック真っただ中。
「世界一」の肩書もない小平の希望を受け入れてくれる企業はなかった。そんな中、日本スケート連盟が提携するスポーツドクターで、相沢病院のスポーツ障害予防治療センターに勤務する村上成道医師が、当時院長だった相沢孝夫さん(70)=現最高経営責任者=に引き合わせてくれた。
08年に左足を痛めた際、リハビリをした病院でもあった。面談した相沢さんが抱いた小平の第一印象は「さわやかで、派手なことや華美なことは求めない人」。
「広告塔」として期待したわけではなく、「スケートに打ち込みたい」という真っすぐな瞳に心を打たれた。「話しているうちにすーっと僕の中に入って来て支援を決めた」。
同センター職員として給料を払い、用具代、遠征費など年間1000万円超をサポートする。10年のバンクーバー五輪では1000メートルと1500メートルで5位、14年のソチ五輪では500メートルで5位に入ったが、なかなか才能が開花しなかった。
小平はソチ五輪後、飛躍を求めてスピードスケート王国・オランダへの留学を希望した。「いいんじゃないか。本人がやりたいようにやれば」。
話を聞いた相沢さんは、14年春からの2年間、長期出張という形で、小平をオランダに送り出した。
オランダ仕込みの「強者のメンタリティー」を手にした小平は、帰国後の16年からW杯500メートルで15連勝を続ける。平昌五輪を10カ月後に控えた昨年4月。
小平からもう一つの要望があった。「バンクーバー、ソチ五輪に出場し、同部屋だった同い年の石沢志穂さんをサポート役にしてくれないか」。
相沢さんは、この時も二つ返事でOKした。
「過剰な要求をしない小平がお願いしに来たということは、石沢さんを本当に必要としているということ。素人では世界で戦うサポートはできない」
石沢さんは遠征に同行し、試合中もそばにいる。
「練習もすごく雰囲気がいい」と喜ぶ小平は、昨年11月のカナダ遠征中にもツイッターに「身体再生中。いっしーのお料理で、長い遠征中の身体づくりもバッチリです。カナダにいるのに、日本より日本らしい食事」と投稿した。「躍動感あふれるレースができた」と振り返った小平。
「長野出身で頑張っている小平を応援しているだけ。僕は一度も『勝て』と言ったことはない」と話す相沢さんに、輝くプレゼントを贈った。
[出典:<五輪スケート>「勝て」と言わぬ支援者 小平、金の恩返し(毎日新聞)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180218-00000080-mai-spo ]
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小平奈緒を救った 相沢病院の“無償支援” 無名の頃から支え続ける理由 2/19(月) 5:01配信
「平昌五輪・スピードスケート女子500メートル」(18日、江陵オーバル)
スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒(31)=相沢病院。
2009年からサポートしているのが、所属先の相沢孝夫理事長(70)だ。無名の頃から支え続ける理由などを語った。小平の“所属企業”は病院だ。
長野県松本市にある相沢病院は、10年バンクーバー五輪のシーズンが始まる2009年から、当時まだ無名だった小平を支え続けてきた。長野の拠点を変えず競技を続けたいと希望していた小平。
しかし不況もあって所属企業はなかなか決まらず、信州大卒業間近の3月、結城コーチと病院のスタッフとが知り合いだったことや、小平が病院でリハビリを受けていたという縁もあり、相沢病院を頼った。「長野の人が長野で五輪を目指したいと言っているのに、どうして長野の企業はできないの。みんなができないなら僕がやるよと」と振り返るのは相沢孝夫理事長だ。
「一流になることは期待していなかった。(周囲からは)広告価値がって言われるけど、相沢病院の名前が出たからって患者さんが来るわけじゃない」。
初対面にして小平は、下心なしにその姿勢を支えたいと思える人だった。その後、バンクーバー五輪団体追い抜きで銀メダルを獲得。
メダルを持って小平は病棟を回った。「持っているパワーを伝えてくれて患者さんもすごく元気になったし、小平さんのファンになっちゃった」と理事長。
ひたむきな小平の姿とその魅力は、自然と病院内で広がった。ソチ五輪後のオランダへの武者修行も「スタッフの海外留学」という形で支援。
小平は「金銭面のサポートがないと無理だった」と感謝する。W杯などの海外遠征へも、できるだけビジネスクラスを利用できるよう支援。
17年4月からはサポート役としてソチ五輪代表で栄養士の石沢志穂氏も雇用した。支援金は年間約1000万円。
それでも「(病院内から)不満もあまり聞かないし、もっと言えば、私がもらっている給料を半分にすればいい」と相沢理事長は笑って話す。
これだけ小平が有名になった今も「病院そのものにとってメリットがあると思えない。盛り上がって、一体感があって、仲間意識を持てる。それが重要」と語った。
そんな応援を小平は「すごく温かい」と感謝した。「今できることを全力でやる小平さんの生きざまが好き。だから人の心に何かを残すのだと思う」と周囲の思いを代弁した理事長。
金メダルという結果以上に、小平の滑りは人を魅了し、力を与えた。
[出典:小平奈緒を救った 相沢病院の“無償支援” 無名の頃から支え続ける理由(デイリースポーツ)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180219-00000006-dal-spo ]
一般的に企業がアスリートを支援するのは、広告効果を期待してだと思うのですが、相沢病院の場合はそうではありませんでした。
職員として給料を払いながらも、病院の仕事もさせずに競技に専念させてきました。
今でこそ絶対王者の小平選手ですが、当時は世界的に有名ではありませんでした。
そんな小平選手を支えてきた相沢病院にも金メダルをあげたい気持ちです。
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