親に捨てられた女性が、その親にもう一度育てられた結果、壮絶な人生を歩む事になりました。
捨てられた親に「もう一度育てられられた」娘が迎えた残酷な結末
2019.01.08 育てられない母親たち 石井 光太 ノンフィクション作家
――家族とは、血でつながっている特別な関係で他にはかえられないもの。
いつの頃からか、そんなふうに教えられてきたように思う。実際、私自身も、家族は特別なものであり、居場所なのだと疑うことなく信じてきた。親に棄てられた子供たちと会っていると、彼らとて同じように感じていることがわかる。たとえ虐待親だったとしても、父と母を求め、家族を欲するからこそ、施設へ移された後も苦しむ。これまでの連載でみてきた子供たちの多くがそうだった。しかし、本当にそうなのだろうか。家族は血がつながっているというだけで特別な関係であり、そこが居場所になり得るのか。
今回紹介するケースからは、そのことを深く考えさせられた。
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p>自分一人だけ施設に入れられた
両親は二人とも若かった。母親は高校三年の十八の時に長女の伊藤いずみ(仮名、ほかの登場人物も仮名)を出産した。父親もわずか二歳上でパチンコ店の従業員だった。二人は、いずみの下に二人の男の子をつくった。
家は経済的に困窮していた。次々と子供が生れたために母親は働くことができず、父親も若いこともあって稼いだ金の多くをバイクやパチンコにつかってしまって、給料日から半月もすれば親戚を回ってお金を借りるのが習慣になっていた。
こうなると、否応にも夫婦喧嘩の回数は増えてくる。離婚が決まったのは、いずみが小学校へ上がった年だった。
離婚後、いずみはてっきり母ときょうだい三人で暮らすものだとばかり思っていた。ところが、父親が親権を持って実家に帰ったばかりか、いずみはこう言われたのである。
「実家は狭いし、お金もない。だから、いずみだけが施設に行くことになったから」
たしかに実家は2DKのアパートで、祖父はすでに故人となり、祖母がほそぼそとパートタイマーとして働いているだけだった。いずみは、自分だけ切り離されたという気持ちになったが、嫌だということもできず、「お金ができて引っ越したら迎えに行く」と言われ、うなずくほかなかった。
児童養護施設によって方針は様々だが、そこはなるべく子供を家に帰そうというところだった。土日祭日には一時帰宅を促したり、親が泊まれるスペースを設けて、そこで一、二日一緒に寝泊まりすることもあった。
いずみも、家に帰ったり、父親と施設の宿泊室に泊まりたいと思っていたが、休日に仕事があるためにほとんど来てもらえなかった。面談や運動会の日だけ、祖母が一人でやってくるくらいだった。
彼女は語る。
「施設の子供たちの間で親の子とはあまり話しません。でも、それなりに、みんな家族が来てくれるのを待ってたし、たまに家族の元へ帰れる子がいるとものすごくうらやましかった。私は父がまったく来てくれなかったので、だんだんと土日に体調を崩すようになりました。
他の子の親が来てくれるのに、また自分の親だけが来てくれないかもしれない。そんな不安があったんでしょうね、かならず金曜日になると熱が出て寝込んじゃうんです。一時期それで病院をたらい回しにされたことがありました」
自分だけ土日に親と会えないという思いが、彼女の心にストレスを与えていたのだろう。
いい子にしていれば、迎えに来てくれる
悲しかったのは、小学五年生の時、父が別の女性と再婚したことだった。お金がないというのに、なぜ別の女性と結婚したのか。新しい家に引っ越したとも聞いたが、なぜ自分だけが呼ばれないのか。
いずみは、自分だけ忘れられてしまったのではないかと不安だったが、それについてはできるだけ考えないようにした。考えれば考えるほど、自分がみじめになるからだ。
施設の子たちの中には、何年かして、親の病気が治ったとか、受け入れ態勢が整ったということで、家族のもとに帰っていく子もいた。今度は自分が帰る番ではないか。
いずみは毎日のようにそう願っていたが、なかなかその日はこなかった。
まわりの子供たちの中には親に対する反抗心や寂しさから非行に走る子もいたが、いずみは逆だった。いい子にしていれば、いつか迎えに来てくれるはずだと思って、勉強に、スポーツに、あらゆることを一生懸命に頑張った。施設の職員は「うちにいた子供の中で一番優秀だ」と目を丸くするくらいだったという。
「私、学校ではいじめられていたんですけど、中学の時には生徒会長に立候補したんです。それも親に認めてもらえるかもしれないって気持ちがあったと思います。学校での成績とか、生徒会長をやっていることって、施設を通じて全部親につたわります。親がそれを見て私のことを『いい子だ』って思って迎えに来てくれるようになるんじゃないか。ずっとそう願っていました」
そして彼女は地元では進学校と言われる公立高校へ進学を果たした。
思いがけず、父親から声がかかったのは、高校一年の二学期だった。父親が再婚相手と離婚し、いずみを家につれて帰ることにしたという。なぜそうなったのかは、あえて訊かなかったが、これでようやく家族で暮らせると思った。
だが、念願だった家族との生活は、想像とはまったくちがった。まず、父親は飲み歩いてまったく帰ってこなかった。中学生の弟たちはそんな父親を毛嫌いして、口論から殴り合いに発展することも珍しくなく、一人は地元でも札付きの不良になっていた。
きょうだいの関係もぎくしゃくしていた。弟たちにはいずみと暮らした記憶がほとんどない。さらに思春期だったこともあるのだろう、どう接していいかわからず、家にいてもお互いに無視し合っている状態で、言葉を交わすのは一週間に一度あるかどうかという状況だった。
いずみは語る。
「浦島太郎状態だったんです。十年してようやく帰ってきたら、家族の中に私の居場所はなかった。親も弟たちも、私のことを家族だっていう認識がなかったんです。そりゃそうですよね、小学校から中学校までの一番重要な時期をすごしてないんだから。弟たちにすれば、『誰だよ、こいつ』って感じだったと思います」
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p>「俺とは血がつながってない」
さらに追い打ちをかける出来事が起こる。ある日、父親からこう告げられたのだ。
「いずみは、母親の連れ子なんだ。俺とは血がつながってないんだよ」
彼女はようやく自分が一人だけ施設に入れられたわけがわかった。今この家族の中で、自分だけが本当の家族ではないのだ。
いずみはやけっぱちになったように、高校一年の終わりから非行に走るようになる。これまで演じてきた「いい子」が音を立てて崩壊し、その反動で自らを傷つけるように、不良グループたちとつるむようになった。家に帰るのは一週間に一、二日程度で、他は先輩のアパートに泊まり、危険ドラッグをやったり、たくさんの男性と肉体関係を結んだりした。
せっかく入学した進学校も高校二年の一学期で中退。父親や弟からは「施設で育ったからこうなった」と蔑まれた。いずみは、施設に入れたのはおまえだろ、と思いつつ、ますます家から遠ざかって不良グループと親交を深めた。
「あの時、自分の居場所は先輩のアパートしかないって思ってましたね。ずっと求めてた家族ってものが壊れちゃったので、そこにしか自分の身の置き場がなかったんです。みんな家庭がうまくいってない子たちだったので、お互いにわかることもあった。傷のなめ合いだったかもしれませんけど」
彼女は家族の代わりに、不良グループと疑似家族をつくって居場所を求めたのだ。
いずみが妊娠したのは、母親と同じ十八歳の時だった。家庭に飢えていた彼女は、子供を産んで家庭を築きたいと強く願った。その時交際していた三つ年上のフリーターの男性も承諾して仕事を探してくれると言った。そしていずみは入籍した。
だが、出産まで二カ月と迫った日、いずみは夫と別れてしまう。夫に別の女性がいたことが発覚した上に、多額の借金を背負っていることが判明し、問い詰めたところ、夫の方から「おまえとはやっていけないから別れる」と言いだしたのだ。いずみも売り言葉に買い言葉で「だったら離婚してやるよ!」と別れることを決めたのだ。
いずみは膨らんだお腹をかかえて実家に帰ったものの、父親や弟たちから注がれる眼差しは冷たかった。いずみは悩んだ。もしこのまま子供を産んだとしても、自分がまともに育てられるとは思えない。むしろ、自分のようなかわいそうな子供をつくりだしてしまうだけだろう。しかし、もはや中絶可能な時期は過ぎていた。
病院から行政の相談員を紹介してもらい、あれこれと話し合ったところ、特別養子縁組という制度があることを知った。赤ん坊を産んだ後、別の夫婦に特別養子として渡し、ほぼ実子同然に育ててもらうという制度だ。
いずみは特別養子を支援している団体を紹介してもらい、契約を結んだ上で、出産した赤ん坊を別の夫婦に託したのである。
断絶期間の深刻さ
現在、いずみは二十六歳になっている。高校中退後はいくつかの仕事を転々とした後、今は知人が経営するエステ店で働かせてもらっている。実は四年にわたって同棲している男性もいるが、籍は入れていない。
彼女は言う。
「子供を特別養子に出した後、いろいろと考えて、私は母親になる資格がないんだっていう結論に達したんです。母親から愛情を受けた記憶がなければ、家庭がどういうものか知らない。そんな人間が、ただ家族がほしいっていう理由だけで子供をつくっちゃいけないと思うんです。だから、同棲とか結婚とかをすることはあっても、二度と子供をつくることはないと決めています」
同棲している男性も、それには同意しているという。
「今の彼も施設の出身じゃないけど、親やきょうだいの問題で何度も家出とかしてきたタイプなんで、そこらへんの考えは私と同じです。別に子供をつくる必要がない。夫婦だけでやっていって、うまくいかなければ別れればいいんです。そこに子供がいるからかわいそうなことになってしまう。私は大人としての責任を持ちたいだけなんです」
いずみの話を聞いていると、子供を持つことを心から拒絶しているようだった。子供時代にあれだけ家族を望んでいたのに裏切られつづけたことで、自分が同じような子供をつくりだしたくないという気持ちが強烈にあるのだろう。
それにしても思うのが、家族の断絶期間の深刻さだ。
たとえ血がつながっていたとしても、子供時代を同じ空間でそれなりのかかわりをもって暮らしていなければ、家族という結びつきはなくなってしまう。いずみのように、小学生、中学生、そして高校生の一部を家族と隔絶して暮らしていれば、家に帰ったところで親きょうだいとの関係を再構築するのは非常に難しい。
児童相談所にしても、児童養護施設にしても、可能ならば子供を家族のもとに帰してあげたいというふうに考えている。だが、その期間が長くなればなるほど、家族としてのつながりが揺らいでしまうのは当然だ。
家族と離れなければならない時間が長くなった子供に対して、どのような支援をしていくのか。そのことについて、しっかりと考えていかなければならないだろう。
[出典:捨てられた親に「もう一度育てられられた」娘が迎えた残酷な結末(石井 光太)現代ビジネス(講談社 > https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58859 ]
この人の場合、父親に引き取られずに、施設でそのまま過ごした方が良かったのかも知れません。
父親の身勝手さに人生を狂わされた彼女が、可哀想でなりません。
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