『家族という病』『極上の孤独』の著者・下重暁子さんが語る夫婦のあり方とは?
『家族という病』の著者が辿りついた、夫婦についての結論
下重暁子「しょせん他人。期待するな」2018.07.08
週刊現代 講談社
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p>かつては愛し合って結婚したのに、今では顔を合わせば喧嘩ばかり。
いつからこうなってしまったのか―。
多くの夫婦が陥る問題に、人間関係について深い洞察を重ねてきた下重暁子氏が答える。自分のことは自分でやる
最近、長年連れ添ってきた夫婦の間で、「熟年離婚」や「家庭内別居」が増えています。
夫婦というのは、元をただせばアカの他人。だからこそ、期待しすぎないことが大切なんですよ。そう語るのは、作家の下重暁子氏(82歳)。
70万部突破の大ヒットとなった『家族という病』(幻冬舎)につづき、今年3月に発売の著書『極上の孤独』(幻冬舎)は人間関係に悩む多くの読者の反響を呼び、28万部のベストセラーになっている。この度、下重氏は新刊『夫婦という他人』(講談社+α新書)を上梓。
「夫婦といっても、結局は一人一人の孤独な人間同士」と、自らの経験をまじえながら軽快に記している。私には45年も共同生活をするつれあい(夫)がいますが、お互い、自分のために何かしてほしいと相手に期待したことなんて一度もありません。
約束したわけではないけれど、それぞれのすることに干渉しないのです。そもそもお互いのこともよく知らない(笑)。
じゃあ、なんで結婚したかっていうと、二人で暮らしたほうが一緒にお酒飲むにも便利だから、それだけですよ。夫にはこうあってほしい。
妻には寄り添ってほしい。そう願うことを別に止めはしません。
けれど、期待するなら「裏切られる覚悟」も同時に持つことです。熟年離婚を切り出されて慌てふためくなんて、悲惨です。
そうなるくらいなら、最初から自分のことは自分でやればいいんです。お茶を出してもらったり洗濯してもらったりと、相手から何か自分にしてもらうと、その後も期待してしまいます。
期待すると、裏切られたときに腹が立つ。
相手に寄り添った関係よりは一人一人が自立するほうが、裏切られることもないし、ストレスがたまりにくい。私とつれあいは、独立採算制なので、自分で稼いで自分で使っています。
共同のものは2で割って、払い方はそれぞれの都合のいい方法で。マンションも車もそうやって買いました。
自由業の私が半分を頭金として即金で、つれあいが残りを月賦で払ってるんです。家事は得意なほうがやるから、つれあいが料理をしています。
私は、病気の時以外は、つれあいの面倒は見ません。
一人ずつの生活が二つあるようなものですよ。そもそも、夫婦関係って自立しながらも適度な距離を保った「平行線」であることが望ましい。
周りから「結婚してるのかしてないのかわからない」と思われるくらいがカッコイイと思ってます。「平行線」の関係がいい
以前、句友の黒柳徹子さんが家に電話してきたことがあって、たまたま私が留守にしてたせいで、つれあいが出たんです。
そしたら黒柳さんは「男が出た!」って驚いたそう(笑)。結婚は隠していなかったけれど、夫の存在をことさらに話したりもしないから、独り者だと思われていたみたいで。
おかしかったし、嬉しかったですね。
私と同い年の友人は、「自分のことは自分でしよう」と旦那のほうから言ってきたみたいです。子供の自立をきっかけに寝室を別にして、一緒に出かける時は、相手の部屋をノックして「どう?」って照れくさそうに誘うんです。
そんな関係のほうが実は気楽なんですよ。それに、夫婦であろうがなんであろうが、人間最期の時は皆一人。
よく考えれば当たり前のこと。
若いときから、そして夫婦になったときから覚悟していないといけません。私のつれあいも、「一人になったら好きなときに好きな肴を作って酒を飲めるのは楽しい。せいせいするよ」なんて笑っているくらいです。
老後は、自分が楽しめることを自由にやったほうがいい。ボランティアに励むのもいいし、絵でも文章でも、小さな頃から好きだったことに取り掛かるのもいいでしょう。
それぞれが自立して、夫婦が「平行線」の関係を保つことで、知らなかった相手の一面が発見できる喜びもあります。つれあいは、茶道を月に一回鎌倉に行って習っています。
江戸千家です。
同時に自己流で花を活けはじめたら、これがなかなかいい。私の趣味の皿と花を組み合わせたりして、「この人は、こんな美的センスのある人なんだ」と驚かされています。
自分が好きだからやっているんですよね。家族の「役割」なんて、無くてもいいんです。
なのに、多くの人は夫の役割、妻の役割、家族の役割……そんなものに縛られている。自分のことは自分でやればいいんです。
得意なことがあれば、互いに任せたり、譲り合ったりすればいいだけ。違和感があるのは、「年老いた時に家族がいないと、誰も介護してくれない」と心配する人が私の周りにもいることです。
老いた親をどう介護するとか、老老介護が重荷だとかいう話ばかり。介護するのが「家族の役割」なんて思い込みです。
私は非力ですから、もしつれあいに介護が必要になっても、一人ではとても無理。だから人の手を借りると決めています。
そのためにもおカネがいる。それだって自立のため、「孤独」を生きるために必要なこと。
家族も含めて、人と付き合うのは「個人として好きだから」という理由があれば十分。
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p>私のつれあいの母は、東日本大震災の年に100歳で大往生しました。
幼い頃に苦労した経験のためか、とても賢くて美しい人でした。「つれあいの母」だからではなく、「素敵な人間」だったから、付き合って看取りました。
それは、自分が介護される側になっても同じことでしょう。妻だから、子供だから、嫁だから面倒を見てほしい。
そんなふうに求めても仕方ない。あなたが素晴らしい人だから助けたいと思われる。
そんな関係でなければいけません。「子はかすがい」なんていうけれど、それは嘘です。
親子という役割が逆に足枷になっている人のなんと多いこと。最近の調査では子供のいない夫婦よりも、子供のいる夫婦のほうが離婚願望が強いそうです。
たしかに、私の周りの夫婦を見ても、子なしで共働きの夫婦は、みな仲が良い。彼らは、自分の世界を持っていて、お互いに寄りかかることがありません。
そして、二人だけでいられる貴重な時間を大切にしようとする。時間が少なくても話は密になるし、関係が行き詰まった時には、仕事という逃げ場もあります。
しかし、子のいる夫婦でよくある例が、会話といったら話題は子供だけで、年を追うごとに会話が減っていくことです。最終的には会話の糸口がなくなり、子育てのためだけの関係と化していく。
子がいなくなってからの老後、二人でいることに耐えられずに熟年離婚に至る夫婦が増えるのはもっともだと思います。日常の中で、子供の入り込まない夫婦だけの時間を取ることが大事ではないでしょうか。
その時間を、子供が自立するまで我慢してしまうと失われていくものが多いです。結婚のかたちも変わっています。
結婚って、心が通じ合っていればそれでいい。
年齢や性別なんて関係ないんです。王貞治さんが78歳で結婚されましたが、とてもいいことだと思います。
18歳年下ということでニュースになりましたけど、結婚に年齢は関係ありません。
私も、つれあいが死んだら次は30~40代の若い男と恋をしたい(笑)。愛は失せても情は強まる
相手を「他人」だと思えば、色々な発見がありますし、マンネリも生まれません。
その異性との生活の中から何が生まれてくるか。少なくとも一人の異性と暮らす中からどんな自分を見つけられるか。
他人と暮らすとはどういうことか、新しい発見があれば夫婦生活は続くでしょうね。お互いに何の発見もなく、ただの惰性だと感じられるようになったら、その夫婦は賞味期限切れだと思います。
こう言うと驚かれるのですが、私は「不倫」は悪いことだと思いません。やたらと騒ぐ方もいますが他所様のことをどうしてそんなに気にするのか。
一人の自立した個人が責任をもって行動することに、口出しする権利は誰にもありません。渡辺謙さんと南果歩さんの離婚のニュースもそうだったでしょう?
渡辺謙さんの浮気が離婚の原因でしたが、恋とは穴に落ちるようなもので、仕方のないことなんです。お互いに受け入れるしかないと思います。
浮気されたほうは大変ですけど、元から期待しなければ、ショックも和らぎます。それに、もし夫婦でもお互いを認めて距離のある関係を作れているなら、相手が他の誰かと恋愛したってまったく構わないじゃないですか。
それで結婚が続かないくらいなら、離婚すればいい。さっさと別れてしまったほうが健全です。
夫婦という役割に縛られることは「病」でしかありません。「愛情」といいますが、「愛」は色褪せていくものです。
だけど、長く一緒にいると「情」は強まっていく。言葉を言い換えれば「思いやり」。
最後に夫婦を支えるのは、そんな精神だと思います。「老いらくの恋」だって、大いに結構。
夫婦は他人とわりきって、「平行線」の距離感を愉しめばいいんです。
[出典:『家族という病』の著者が辿りついた、夫婦についての結論(週刊現代)現代ビジネス(講談社 > http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56351 ]
確かに、愛は段々と冷めていくものですから、最初から相手に期待しなければショックも少ないと思います。
「平行線」の距離感って大事だと思います。
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