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芸人ヒロシ「売れた時、自殺を考えた」

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芸人のヒロシさんのインタビューです。
とても感銘を受けたので紹介します。

芸人ヒロシがYouTubeに見つけた人生の神髄

2018/12/11 5:50 「君も好きなことだけして生きていける」
村田 らむ : ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第48回。

芸人のヒロシさん(46)と言えば、2004年に大ブレークした、「ヒロシです……」で始まる自虐ネタを皆さんご存じだろう。
ブレークした年に出版された『ヒロシです。』(扶桑社)は発行部数50万部を超えるヒットになった。

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好きなことだけをして生きていくことのススメ

そんなヒロシさんが現在、芸人としてではなく、ユーチューバー(YouTuber)として注目されている。

2015年に始めた「ヒロシちゃんねる」は、登録者数28万人を超える人気チャンネルになっている(2018年12月現在)。
「ヒロシちゃんねる」では、ヒロシさんが趣味であるキャンプをただただ楽しんでいる動画がアップされている。

一人称視点が多く、ヒロシさんが映っていないことも多い。
たとえ映っていてもキャンプ用の服を着込んでいて、トレードマークである背広は着ていない。

お笑いのネタも挟まず、BGMやテロップなど凝った編集もしていない、飾り気のない動画が幅広い層にウケているのだ。
100万回以上再生されている動画もある。

YouTubeでの広告収入も増えて、収入が80万円を超える月もあるという。

そんなヒロシさんは、自身のユーチューバーとしての経験を踏まえて、『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)を12月6日に上梓した。
タイトルどおり、好きなことだけをして生きていくことのススメが書かれている。

ヒロシさんはどのような人生を経て、現在の場所にたどり着いたのか。
講談社の会議室で話を聞いた。

キチンと勉強するまじめな子ども

ヒロシさんは、熊本県荒尾市に生まれた。
荒尾市は20世紀前半に炭鉱の街として栄えた街だった。
ただヒロシさんが生まれた20世紀後半は、炭鉱が閉山になっていく衰退の時代だった。

「父親も炭鉱作業員でガツンガツンとやっていました。とても教育熱心な人でした」

父親には学歴がなく、肉体労働しか選択肢がなかった。
息子には大学を卒業して、いい会社に入って安泰な人生を送ってほしいと願っていた。
ヒロシさんも父親の意思には逆らわず、キチンと勉強するまじめな子どもだった。

「でも小学校の頃から人となじめなかったですね。
正月とかに親戚が家に集まると、居間には行きたくなかったです。
普段会わない人と何をしゃべっていいかわからないんですよ。
標準語をしゃべる神奈川のいとことかに対して、劣等感を抱いてもいました」

小学校時代に漫才ブームが訪れた。中でもツービートの漫才が大好きだった。
その時はじめて「お笑い芸人という仕事があるんだ」と気づき、あこがれを持ちはじめた。

イジメに遭って気づいたこと

「小学校の時に転校したんですが、転校先でイジメに遭ったんです。
月に1回『誕生月の人を祝う会』というのがあったんですが、みんな歌を歌ったり、花輪を作ったりしていました。

僕はドリフターズのマネをしたんですね。そうしたらすごくウケて、イジメが少し収まっていったんです。
『そうか、笑わせればいいんだ』って気がつきました。
そこが原点ですね」

ヒロシさん自身は、中学を卒業したら即お笑い芸人になろうと考えていた。
「なんにせよ早いほうがいいだろう」と思っていたからだ。

ただ、進学してほしいと願う父親に逆らってまで、お笑いの道に進むことはできなかった。
高校の成績もよく、学校推薦で九州産業大学の商学部に進学した。

「僕はやっぱり『普通の人』なんですよね。芸人になりたいとは思っていたけど、それでも普通に就職して、普通に生きていくんだろうな、と感じていました」

そしてそのとおりに、大学卒業後は保険会社に就職した。

「営業の部署だったんですけど、地獄でした。会社でも誰とも話せないし、どうしていいかもわからない。毎日つらくて、そのうちつらさが身体に出るようになりました」

朝起きると頭痛が出るようになった。
会社が休みの日には出ないので、精神的なものなのだろう。
1カ月で、会社に行かなくなった。

「ある日家で起きたら、支店長が枕元に立ってました。そして『もうちょっと続けなさい』って言われました」

「少しは契約を取ってこい」と言われ、親類縁者に入ってもらって契約を取った。
結局、半年間我慢して働いて会社を辞めた。

まともな道は歩いていけない

「会社でうまく働けなかったことで『僕はまともな道は歩いていけないんだ』って自覚しました」

保険会社の社員の時代、福岡吉本が主催するお笑いオーディション番組を2回受けに行った。
ヒロシさんは1回戦で落ちてしまった。

結果発表の後、福岡吉本の社長がホワイトボードに電話番号を書いた後、「本気でお笑いをやりたいと思ってる人はここに電話をかけたらいい」と皆に言った。

ヒロシさんは後日電話をかけて「お笑いをやりたいです」とはっきり告げた。
それからしばらく福岡吉本でお笑いを続けたが、26歳の時に上京した。

冴えない芸人のウソを信じてホストの世界へ

そして東京で出会った冴えない芸人が、やたらとブランドもののアクセサリーを身に着けていたのが目についた。
恋人もいるという。冴えない男なのになぜ?と思って問い詰めた。

「そいつは『誰にも言わないでね。実はホストやってるんだ』って言ったんです。こいつがいけるんだったら僕もいけるんじゃないか?って思いました。芸人やりながらアルバイト感覚で働けるんなら丁度いいなって考えました」

ただ実はその男性はウソをついていた。
持っていたブランドもののアクセサリーもニセモノだった。

ヒロシさんが面接に連れていけと言っても、なかなか紹介してくれない。
もちろんウソなのだから紹介できるはずもない。

ヒロシさんはしびれを切らして、知り合いのツテをたどって自分でホストクラブに面接に行った。
簡単に入店することができた。

「入るのは簡単でしたけど、辞められなくなりました。拘束されて働かされて、月3万円しかもらえませんでした」

飲めない酒をたくさん飲まされ、毎日長時間働かされた。
あまりにお金がないので、休日はコンビニでアルバイトをした。
週に1度しかコンビニでアルバイトしていないのに、週6日働いているホストクラブより多く給料をもらった。

逃げたいと思ったが、逃げてしまってはもう二度とお笑いはできなくなると思った。
だから歯を食いしばって耐えたが、4年目にどうしても耐えきれず逃げた。
そして熊本に帰った。

「その時はお笑いをあきらめました。もう東京に戻れないですから。でも逃げた後すぐにお店が潰れたって聞きました。最初は僕を連れ戻すためのわなかと思って警戒しましたけど、本当に潰れたことが判明しました。慌てて東京に帰りました」

「苦労は金をもらってもするな」

よく「苦労は買ってでもしろ」という人がいる。
彼らはどんな経験でも、人生の肥やしになるという。
だがヒロシさんはそうは思わない。

「ホストクラブで働いてた4年間は本当に無駄でした。
大学時代も無駄だったと思うけど、それ以上でした。
僕は『苦労は金をもらってもするな』と思います。

僕はもう32歳になっていて、同期はテレビに出ていました。
ホスト時代に無駄な時間を過ごしたという実感があったので、その反動でものすごく頑張りました」

ホストクラブに入るまでは「いつか売れるだろう」とのんきに構えていたが、ホストクラブを辞めてからの1年は売れることしか考えなかった。
そして実際に思いつくことはすべて行動に移した。

大ブレークと、その後やってきた苦悩

そして試行錯誤の結果、大ブレークした「ヒロシです……」のネタは生まれた。

「売れていく段階はうれしかったですよ。
お金が入ってくるのもうれしかったです。
最高で月4000万円稼いだこともありました。

ただ売れてしまってから……バラエティー番組に呼ばれるようになってからつらくなりました」

バラエティー番組に呼ばれて、出演しているときは、苦手だった小学校時代の親戚の集まりを思い出した。

「よく知らないいとこの集まりで面白いこと言えないじゃないですか。それと同じです。当時は人気もあったのでカンペで『ヒロシに振って!!』と司会の方に指示が出るわけです。それで振られても、なんも面白いこと言えないんだけどな……って。考えすぎてつらくなる毎日でした」

テレビに出ている間はずっとつらかった。
最終的には飛び降り自殺を考えるまで追い込まれた。

もう自分がもたないと思い、当時所属していた事務所に、「テレビに出なくていいですか??このままだとおかしくなります」と伝えた。

「それから束の間は極楽でしたね。貯めていたお金はあるし、ヒマはあるという。釣りにハマってました。キャンプもやってました。気分的には早めの老後を迎えたという感じでした」

田舎暮らしをしたいと思い、千葉に物件を見に行ったこともあった。

「人を避けたいというのがありましたね。シンプルな生活がしたい。自分で畑を耕して、実ったものを食べて生きていきたい。そんな感じでした」

だが、実際に物件を見に行くと、青年団に入らなければいけない、ご近所の飲み会に呼ばれる、など東京以上に面倒くさいのではないかと思った。

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自分に田舎暮らしは危険だ!

「田舎暮らしは危険だ!!ってなりました。
世間にはヒロシとして顔が知れ渡っていますから、普通の生活はできないんですよ。
絶対に『ヒロシだ!!?〈ヒロシです〉やれよ』って言われるじゃないですか」

自由な生活は最初こそ楽しかったが、だんだん不安が募ってきた。
お金はあったが、何をどうしたらいいかはわからない。
お笑いをやる気にもならなかった。

「どうせ、何をやってもダメなんだろうな」とネガティブに考える時期が続いた。
ヒロシさんがブログを始めたいと思って会社にお願いしたこともあったが、許可が出るのに3年間かかった。

「仕方がないことなんですが、3年もたったらやる気も情熱も失せてますよね……。
でも何年もそうやって悶々とした日々を過ごして、なんでこんなもったいない生き方してるんだろう?と思うようになりました。
それでやっと行動を起こすようになりました」

マネジャーに勧められて、単独ライブを開催した。
久しぶりにテレビにも出演してネタをやった。

所属していたプロダクションからは業務提携の形になり、元飲食店だった場所を事務所にした。
もともとスナックだったのでカラオケができる「ヒロシのお店」として営業もした。
現在はカラオケはやめ、カフェ「FOREST COFFEE」として不定期に店を開けている。

「やっぱり行動するとつらいことが多いです。でも『自分で決めて行動している』から、つらいことにも耐えられるんですよ」

そして2015年、ついにYouTubeで「ヒロシちゃんねる」を始めた。
ただし、始めた時はユーチューバーとして稼ごうなどとはまったく思っていなかったという。

「キャンプしてる様子を記録に残したいと思ったんですよね。キャンプ仲間と後から見返したいなと思って。結婚式で流れる動画みたいな感じですね。そんな動画、他人が見たって全然おもしろくないと思ってました。もちろん意気込みなんかまったくありませんでした」

しかし、動画をアップしていると動画の再生回数は伸び、チャンネル登録者数も徐々に増えていった。

自分で作った動画でもらえた数百円がうれしくて

「動画に広告入れれば収入になるって聞いて、なら試しにやってみるかと思って入れてみたんですよ。そうしたら何百円か振り込まれたんです。これがうれしくてね。自分で作った動画で、グーグルからお金が振り込まれたぞって。そのうち『YouTube見てます』って言われるようになりました。たとえば仕事で訪れた沖縄のおばちゃんに言われたりして、これもとてもうれしいんですよ」

テレビに出演すればもちろん「見ましたよ」と言われることは多い。
ただ当たり前だがテレビ番組はヒロシさん1人で作っているわけではない。

一方、YouTubeの動画はすべてヒロシさんが作っている。
褒められれば喜びもひとしおだ。
ブレーク時代は最高月収4000万円だったヒロシさんだが、自分で作った動画を見てもらうことにより稼いだ数百円がとてもうれしかったのだ。

まさかここまで育つとは

「演出、撮影、出演者と全部やってますからね。キャンプに行かないと動画は上げられないので、忙しい月と、そうでない月でYouTubeの収入は変わります。ちなみに先月は80万円の広告収入がありました。まさか自分たちだけで楽しもうと思っていたチャンネルがここまで育つとは驚きでした」

読者の中には、「芸能人がやってるからみんな見るんだろ??普通の人がやったって見ないだろ」と思う人もいるかもしれない。
ただ、ヒロシさんはそうは思わない。

「誰だってできるんですよ。ただ、やるかやらないかだけなんです。YouTubeでは『こんな動画誰が見るんだろう?』というマニアックなチャンネルもヒットしています。結局誰が出ているかより、何をするかだと思うんですよ。収入にすぐつながるわけではないですけど、元手はかからないですからね。もし1万円でも稼げたらよくないですか??サラリーマンしていて1万円昇給するのって大変ですよね?」

徐々に人気ユーチューバーになってきているヒロシさんだが、まだどの動画が人気になるかまでは読めないという。
気合いを入れてアメリカのロサンゼルスまでキャンプを張りに行ったことがあったがその動画はあまり再生回数は伸びなかった。
逆に多摩川の河川敷でラーメンを作っただけの動画が何十万回も再生された。

何がウケるかわからない

「何がウケるかわからないんですよね。
だからなんでもアップロードしてみればいいんですよ。
タダなんだから。

たとえば僕は独身だから夫婦げんかの映像とか見てみたいですね。
わーわー言い合っている映像じゃなくても、ただひたすら部屋の中で黙ってる映像とかね。
『おかえりなさいも言わない冷戦状態になってる』なんて話、耳にはしますけど見たことはないですから。

居間でまったくしゃべらない2人を見て『ホントこいつらしゃべらねえなあ』って。
で、ちょっとでも動くと『おっ!!』と思うわけじゃないですか。
犬も食わない夫婦げんかも、立派なエンターテインメントになるんですよ。

僕もやってみようかな?と思った人は、来月からやってみようとか、落ち着いたらやってみよう、とかじゃなくて今日やりましょう!!
スマートフォンがあればできるんだから。
やってみると意外といけますよ」

世界には楽しいことをして生きていける世界がある

今回上梓した『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)を、ヒロシさんは小学校時代からのある同級生に読んでもらいたいという。

「たまに連絡してくる同級生なんですけど、どうやらちょっと鬱になってるみたいなんです。『残業してもおっつかないんだ~』って言ってて。結局仕事も休んでるみたいなんです。昔から、勉強もできて、スポーツもできて、女にもモテた友達がそんなふうになるとは思ってなかったです」

ヒロシさんにとってサラリーマン生活を続けていくことは、想像しただけで恐ろしくなるほどつらい世界だ。
嫌な上司や先輩と延々付き合っていかなければならないし、飲み会にも参加しなければならない。
そんなつらい現場で果敢に戦っている同級生に、世界には楽しいことをして生きていける世界があると知ってほしいと思う。

嫌なことはやらなくていい

「いきなり会社を辞めてユーチューバー1本で食べていこうとかいう話ではないんです。
そもそも会社を辞めるのもすごいストレスですからね。

YouTubeで好きな動画を流せば、みんなに見てもらえてお金になるんだってことを知ってほしいんですよ。
嫌なことはやらなくていいんです。

好きなことだけをやって、それを流せばいいんです。
それで少しでも稼げるって知ったら、たぶん少し生きるのが楽になるんじゃないかと思うんですよ」

現在、ヒロシさんはキャンプ動画で注目されているため、キャンプのテレビ番組に呼ばれることが多い。
そのためプライベートでキャンプに行く機会が減っているのが少しストレスだという。

「最近はキャンプ動画が当たっているので、オリジナルのブランドを作れないかなと思っています。
最初は有名キャンプブランドとコラボしようかと思ったんですが、結局商品を買い取ることになるようなんですよね。
だったら、一から全部自分で作れないか?と考えてます」

たとえばたき火台だったら、図面を引いて、工場に行って一つひとつ作ってもらう。
単価はどうしても高くなるが、まずはそこから始めたいと思う。

「結局、全部自分でやりたいんですよ。間によくわからない人が入ってくるのが嫌なんです」

たとえばたき火台を作るにしても、間に人が入ってくると「こうしてよ」「ああしてよ」と意見を言われる。
二転三転して結局、全然違うものになる。
それでも商品名は「ヒロシのたき火台」として発表しなければならない。

よくわからない人に口を挟まれるのはもう嫌

「そういうふうに名前だけ使われるの嫌なんですよ。
気持ち悪いなって。
自分の思いどおりの物を作ったなら『だせえな』ってけなされても仕方ないんです。

お笑いのネタでもそうなんですが、『ウケれば自分の手柄』『滑ったら自分の責任』にしたいんです。
よくわからない人に口を挟まれるのはもう嫌なんですよね」

いくつも種をまけば、いつか花咲く種もある

昔は到底1人ではできなかったことが、ガジェットやアプリの進化で全部1人でできるようになってきている。

「僕みたいに1人でやりたいって人は世の中にたくさんいると思うんです。
自分でも気づいていなかったけど、自分にピッタリな時代が来たんだなって感じます。

もちろん今、たまたま調子がいいだけで、来年どうなっているかわかりません。
でもなんとなく、またその後もいろいろな種をまき続けて再び当てられる自信がありますね。
結局、弾数撃てば当たると思います。いくつも種をまけば、いつか花咲く種もあります。

最近は常々、人生は1回しかないんだって考えますよ。
どうあがいたってもうすぐ死にますよ
だったら好きに生きましょうよ!!」

ネガティブなネタを得意とするヒロシさんからあふれる言葉は、とてもポジティブだった。
お世辞ではなく、話を聞くうちに「自分でもYouTubeやってみようかな?」と思えてきた。
それはYouTubeが儲かるからではなく、YouTubeをやっているヒロシさんがとても楽しそうだからだ。

「とにかくすぐにやってみる」
「とりあえず1人でやってみる」

というのはこれからの時代のキーポイントになってくるかもしれないな、と感じた。

[出典:芸人ヒロシがYouTubeに見つけた人生の神髄 「非会社員」の知られざる稼ぎ方(東洋経済オンライン > https://toyokeizai.net/articles/-/253577 ]

ホストの経験はお笑いのネタとして使えているので、無駄な苦労ではなかったと思います。
ホスト時代があったからこそ、必死にお笑いに取り組めたのでしょう。
一度しかない人生を、楽しく生きなければもったいないという意見には賛成です。
人に迷惑をかけない程度に、自分のやりたいことをやるべきかなと思います。

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