森田哲矢さんと東ブクロさんのお笑いコンビ・さらば青春の光が、事務所独立した後の話が面白くて、ちょっと感動したので紹介します。
さらば青春の光「ギャラの未払いはありました」事務所独立からの“逆境”と復活秘話
12/5(木) 7:00配信
人気上昇中のお笑いコンビ・さらば青春の光(森田哲矢、東ブクロ)。事務所からの独立やスキャンダルなどの苦しい時代を乗り越え、バラエティ番組への出演のみならず、ドラマ「猪又進と8人の喪女~私の初めてもらってください~」(毎週木曜0:55-1:25、カンテレ※1月よりBSフジでも放送)では森田が主演と脚本監修を担当するなど、活躍の場を広げている。
キングオブコント決勝に6回進出の実力派コント師であり、現在は自身たちが所属する個人事務所「ザ・森東」の社長(森田)と副社長(東ブクロ)を務める“経営者”でもある彼らに、これまでの芸人人生を振り返ってもらった。
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p>■ 「若気の至り」で事務所から独立
――お二人は2013年に松竹芸能から独立をされていますね。「キングオブコント2012」で準優勝し、まさに“これから”という時期だったと思うのですが、なぜでしょう?
森田:今考えると、若気の至りでしょうか…。お金の面での、会社の自分たちへの評価などに納得できない部分がありました。思い上がっていたんだと思います。
東ブクロ:ただの“勘違い”ですよね。大阪の賞レースにちょこちょこ顔を出して、他は吉本の芸人ばかりのところに、松竹からは僕たち1組。
同じくらいの評価を受けている吉本の方たちは飯が食えてるのに、自分たちは飯が食えていないという状況があり「なんでやねん」と。でも、それは(吉本の芸人は)劇場があって、そこで仕事をしているからだったんですよね。
森田:それで、ブクロが「辞めよう」と言ったんです。
東ブクロ:いや、違います(笑)。こいつ、全部僕のせいにするんです。
森田:ブクロは「(キングオブコントの)決勝に行ってからも給料が上がらない」と言って、前の事務所の養成所に給料明細を貼り付けた男ですから。
東ブクロ:貼り付けてない!“貼り付けたろかな”というのをSNSで言ったら、怒られただけです(笑)。
■ キングオブコント準優勝後でも月収8000円
――「飯が食えていない」時代は、どれくらいの稼ぎだったのですか?
森田:1回、月収8000円というのがあったんですよ。しかも、キングオブコントで準優勝した後に。だから、“もう辞めた方がいいんじゃないか”と思ったんです。
東ブクロ:決勝に行ってからの仕事の給料は、そんなにすぐ振り込まれないのに、“なんでないねん”みたいなことを思っていて。ほんまにイタかったですね。
森田:結局、本当に事務所をやめることになり、大阪から東京へ出てきてしまったので、一時期は給料ゼロ円の借金生活になりました。
その後、冠番組「さらば青春の光 ふぁいなる」(TOKYO MX※現在は終了)が始まったので、苦しかったのは1年くらいじゃないですかね。
ただ、独立後の2013年にキングオブコントの決勝に行ってもスキャンダルや何やらで仕事がなくて、仕事はほとんど冠番組だけという状態でしたけど。
東ブクロ:バイトはせずに、なんとか暮らせるかなというくらいはありましたね。
――2013年に個人事務所を立ち上げられたんですよね?事務所を設立するには、お金がかかりそうですが…。
東ブクロ:10月くらいですかね?番組で立ち上げたので、お金は番組が払ってくれたんですよ。運があったんですかね。
森田:本当に運がありました。ただ、個人的な借金は、今も中学の同級生に100万円ほどあるんですけど…。
――えっ!?今のご活躍なら、すぐに返せるんじゃないですか?
森田:少し前に100万円が貯まって、返せるとなったんですよ。それで、「今すぐ返すか、もっと売れて300万円にして返すかどっちがいい?」と聞いたら、むこうが300万円を選んだので、まだ返さなくていいんです(笑)。
――ちなみに、借金は最高どれくらい?
森田:300万くらいですね。でも、それも全部、中学の同級生が立て替えてくれて、今の借金はその内の100万円です。やっぱり人に恵まれているというかね。これも人徳の成せる技なんじゃないかなと(笑)。
――(笑)。東ブクロさんはお金に困ったことは?
東ブクロ:一切ないですね。バックに家族がいるので(笑)、仕送りをしてもらっていました。
――個人事務所設立後は、ギャラ交渉も自分たちでされていたそうですが、苦い経験はありますか?
森田:ギャラの未払いは、いくつかありました。むちゃくちゃ早朝からのロケを丸2日連続でやって、20万円だと聞いていたのに1円も支払われず…。何度連絡しても、電話に出てくれなかったんですよ。
――そんなことがあるんですね…。
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p>■ 女性スキャンダル時の記憶は「すっぽり抜けている」
――少し話は戻りますが、事務所を辞め、仕事が減っていた中、追い打ちをかけるように東ブクロさんの女性スキャンダルが報道されたんですよね?このことはどのように森田さんに切り出されたのですか?
東ブクロ:もうね、そのあたりの記憶がすっぽり1年くらい抜けているんです。
森田:それではこの取材逃げられへんで(笑)。
当時やっていた番組のロケが終わって、スタッフさんたちとご飯を食べに行った時に、「実はこういうことになっている」と言い出したんですよ。でも、なんかさらっと言っていて、スタッフさんたちも、そんなに深刻な反応ではなかったですね(笑)。
東ブクロ:だめなことですけど、個人的に、こんなに大きくなると思っていなかったので…。
――コンビを解散するという話や、険悪なムードになることは?
森田:そういうのはなかったですね。僕は、僕自身がだらしなくて、楽して稼ぎたいと思っている、芸人になるくらいの人間やから、単純に「すげえな」「芸人やな」と思ったんです。
周りからは解散を勧められましたけど、僕自身は、またネタとかを頑張れば、上に上がれるのかなというふうに思っていました。
ただ、スキャンダルがあって、「いろんな人に迷惑を掛けたから、ほんまに頑張っていこう」と言っていた次の仕事で、こいつがパーマをあててきたんです(笑)。その時はさすがに腹が立ちました。「あれだけいろいろ“やらかした”やつがパーマあてられる?」と。
東ブクロ:それは、年を越して、正月になったからですね。時期的なものです。
森田:でも、そういうところがこいつのオモロイところなんです。普通、そんな発想にならないじゃないですか(笑)。
東ブクロ:どんな理由にしろ、“解散しない”という道を選んでくれたことは、本当にありがたいと思っています。
■ 「最初にライブに呼んでくれたのは、しずるさん」
――仕事が激減したときに、助けてくれた方はいたのでしょうか?
森田:周りに、優しい人がほんまに多かったんですよ。
東ブクロ:「お前らが困っているから」ということで仕事をくれる方もいて、そういうのでなんとか食いつなげたという運がありましたね。本当に感謝しています。
森田:芸人でいうと、いろいろあった後、一番最初に僕らをライブに呼んでくれたのは、しずるさんだったというのは、いまだに覚えています。
東ブクロ:個人的には、スピードワゴンの小沢(一敬)さんとチュートリアルの徳井(義実)さんが、一番しんどい時に毎日声を掛けてくれて、ご飯にも連れて行ってくれました。
何も聞かずにいろんな先輩に会わせてくれたり本当に優しくしてくださって、「辞めんでええんや」と思えましたね。
森田:徳井さんも、こいつにめっちゃ優しく接してくれてね。
東ブクロ:個人事務所を始めた時にも声を掛けてくれて、話も聞いてくれました。
森田:その時の恩を返さないといけませんね。
■ 「賞レースは、獲るか本当の爪痕を残すかしかない」
――最近ではテレビの露出も増加し、単独ライブのチケットも即完売。ご自身で人気の上昇を感じることは?
森田:テレビ業界の方に受け入れられてきたという感覚はありますね。今まで通り一生懸命やっていたら、なぜか急にお仕事をいただけるようになったなと。
もしかしたら卒業を宣言したキングオブコントも影響しているのかなと思います。
東ブクロ:積み重ねなんですかね。6回(決勝に)出られたというのもあったし。
――賞レースには、決勝に進出しても、その後のテレビ出演に繋げるのは難しいという側面もありますよね?
森田:賞レースは、獲るか本当の爪痕を残すかしかないと思っていて、それ以外は無に近いんじゃないかなと。
特にキングオブコント勢は、みんな歯がゆいと思います。だから、そこに固執していても仕方ないんじゃないかと思って卒業をしました。
東ブクロ:コロコロチキチキペッパーズやハナコにしても、初登場で優勝していくじゃないですか。僕らはこれだけ出たら手の内もばれているし、優勝の仕方が分からへんなと。その判断も良かったんやろなと思います。
森田:でも、今になってキングオブコントが効いてきてたんかなとも思いますね。毎年決勝に出て、僕らは「やっぱあかんかったな」と言っていたのが、今になってスタッフさんに「ずっと応援していたんですよ」と言われることが増えました。
――逆に、現在も感じる“壁”はありますか?
森田:なんとなく飯が食えるようになったので、ここから本当に億、兆稼ぐためにはどうしたらいいかということを考えているところです。何かお金を稼ぐシステムを生み出さないと、とか。
東ブクロ:テレビに出るだけじゃなくてね。
森田:今考えているのは、冬の歌舞伎町で豚汁屋さんをやりたいなという(笑)。キャッチ相手の商売として。
東ブクロ:これ、13年前から言ってますからね。大阪の難波って言ってたのが歌舞伎町になったんですよ(笑)。
■ 「ザ・森東には力がない」
――お笑いのみならず、森田さんはドラマ「猪又進と8人の喪女~私の初めてもらってください~」※で主演と脚本監修を担当されています。オファーがきた時はいかがでしたか?
<※“喪女(もじょ)”とは、インターネット上で使われる“モテない女性”を意味する言葉。編集者の猪又進(森田)と作家・アカリ(岡崎紗絵)が、「喪女」をテーマに連載をすることになり、様々なタイプの“喪女”と出会う物語>
森田:意味が分からなかったですね。最初、このドラマの監督をしている方から新宿のファミレスに呼び出されて、「喪女×森田哲矢」と書かれた1枚の企画書を出されたんです。
それで、「企画書が通ったので出てもらえないですか」という感じで出演までいきました。普通は企画書を出す前に事務所に聞くんですけど、勝手に出していたんですよ。企画が通っているから撮らざるを得なくて(笑)。
――大変だったことは?
森田:スケジュールが本当に殺人的でした(笑)。朝5時から夜11時くらいまで撮って、次の日も朝5時からの撮影というのが、5日間くらい続いたんです。ドラマってこんなに大変なんだなと思いましたね。
でも、カンテレが僕を主演と脚本監修に抜てきしたことがおかしいですし、やばいなと思っているので、プレッシャーみたいなものは全くなかったです!何回も確認しましたもん、「本当にいいんですか?」と(笑)。
――東ブクロさんは、大役を担った森田さんに嫉妬は?
東ブクロ:僕も3話だけですけど出ているので、なかったですね。確か、僕の撮影は45分で終わりましたけど。でも、相方が主演で脚本監修までしているのに、バーターが効かないって、ザ・森東には力がないということですから。それに対する危機感はありますね(笑)。
森田:こいつは働きたくないやつなので。僕がドラマやってる期間は、ゴルフばっかりして本当に楽しかったと思いますよ。しかも、うちはすべてのギャラを折半しているので、ドラマの収入も折半(笑)。ゴルフだけしているのに、いい金もらってほんまずるいですよ(笑)。
東ブクロ:森田がいつも5時起きだったとか言ってますけど、僕は3時起きで、しかも4日連続ゴルフをやっていたんです。僕こそ大変でしたよ(笑)。でもまあ、森田もしんどかったやろなとは思いますけど。
森田:思ってないやろ!本当、こいつの人生が一番いいんじゃないかといつも思います(笑)。
「猪又進と8人の喪女~私の初めてもらってください~」は毎週木曜夜0:55-1:25、カンテレで放送。※BSフジでは2020年1月から毎週月曜夜11:00-11:30に放送予定。(ザテレビジョン)
[出典:さらば青春の光「ギャラの未払いはありました」事務所独立からの“逆境”と復活秘話(ザテレビジョン)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191205-00214867-the_tv-ent ]
仲間の芸人さんやスタッフさんの助けもあって、苦しい時期を乗り越えられてきたのも、彼らの人徳のおかげでしょうね。
お二人がどんな命式を持っているのか気になるところです。
あとで四柱推命占いしてみようと思います。
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