小5ですでに168cmだった滝沢カレンさん 2017年8月4日「中居正広の金スマ」
2017年8月4日(金)放送の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」より。
2017年上半期のテレビに127本出演。
最もブレイクした女性ということで、滝沢カレンさんが登場。
モデルとして活躍し、注目されるのがインスタグラム。
しかし、写真よりも注目されるのが「文章」の面白さ。
芸能界で唯一の友だちという横澤夏子さんと共に、母校の中学校を訪れました。
世田谷区立梅丘中学校の3Dの教室には、懐かしいクラスメイトが待っていました。
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友人たちの話によると、「変な人でした」
言葉遣いが変で、変なことをしても注意する人が誰もいなかったとか。
小中学校時代から既に今の滝沢さんは出来上がっていたのでした。
小5ですでに168cmだったという滝沢さん。
あだ名は「ダース・ベイダー」。
男の子たちからも恐れられるボス的存在だったとか。
芸能界入りのきっかけは、街で「モデルになりませんか?」とスカウトされたこと
その現場にいた友人の証言によれば、滝沢さんは開口一番「私は脱ぎません!」と叫んだそうです。
滝沢家では「芸能界は脱ぐ場所」だと皆思っていたそうで。
そのため、芸能界入りを家族は猛反対。
そんななか、モデルになるかどうかで揺れる滝沢さんの背中を押してくれたのが染谷先生でした。
「滝沢は絶対、テレビとかモデルだよなあ」と。
染谷先生のその言葉に滝沢さんは「救われた」といいます
生徒の夢を叶えるのが先生の務めであり、勉強が得意ではなかった滝沢さんの将来を案じてのことだったとか。
そして、染谷先生への感謝の気持ちを歌で表現する滝沢さん。
「染ティーへの気持ち」作詞・作曲:滝沢カレン
ありがとう ここまで大きくしてくれたこと 本当 感謝してる
あの日 ここで いろいろ言われて 今となった私がいる
そして鯖とか嫌いだったよね 先生
鯖アレルギーだったこと 今でも思い出す
いろんな思い出が詰まった3D
いつまでも いつまでも 感謝してる
今まで3人の彼氏がいて、人生初めての彼氏は14歳のときの同級生で3日間だけ。
元彼曰く「当時から変わっていて、それがついに全国民にバレちゃったなっていう…」
そして、友だちが集まってくれたことへの喜びを歌で表現する滝沢さん。
みんな絶対 予定あったよね(あった あった)
絶対みんな 他にも集まりたいこと あったよね
なのに 私のために集まる
そんなのが 友
彼氏のことをどれくらい好きだったのかと中居さんに聞かれ…
モノで例えますと「バスタブ」くらい
12年間通ったバレエ教室の恩師
3歳から15歳まで、週に6日通っていました。
プロのバレリーナを目指していたそうです。
モデルになることを言えずに、黙って辞めたことを謝罪したかった滝沢さん。
心配していたという恩師は、「バレエがカレンの中で、何かの形で花開いてくれたら私は嬉しい。頑張って」とエールを送ってくれました。
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そして、バレエの恩師に感謝の歌を歌う滝沢さん。
「あの時の10年」作詞・作曲:滝沢カレン
ありがとうって言えなかった(タッタッ)
何で言えない 口があるのに
何であの時言えないの(タッタッ)
こんなに苦しむはずじゃなかった
10年ずっと会おう会おう
なんて私は思ってたの
だけど結局 10年越しに会って
こんな大人になっちゃったけど
ありがとうって言えたよ
これからも 何も考えずに生きていこう
ありがとう内藤先生
これからもテレビを観てください
父がウクライナ人で母が日本人のハーフである滝沢さん
日本語がおかしいのは、バレエ教室をしながらロシア語の通訳もする母親に原因がありました。
小さい頃から母の通訳の仕事場に連れていかれ、遊び相手はロシア人ばかり。
日本語がたどたどしいロシア人と一緒に遊んでもらっていたのが、今の滝沢さんを形成していったのです。
おばあちゃん一人だけは「それは違うよ!もう1回言ってみて」と厳しく直していました。
小学校に入学すると周りは日本人ばかりで、結構イジメられたそうです。
「ママ、何で私はこんな茶色い髪なんだ!こんな髪嫌だ!」と泣いたときがありました。
そのときおばあちゃんは「何言ってんの!そんなイジメられるんだったら、あんたもイジメ返しなさい」って。
最後に、普段は面と向かって言えないお母さんへの感謝の気持ちを歌で表現。
「親以上の人間」作詞・作曲:滝沢カレン
こんな親から生まれて こんな楽しいと思わなかった
私はママとの未来を想像したい
過去には振り返らない
もっと未来を見たい
ママの子でよかった
来世も一緒に居てほしいから
ママの子でよかった
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