世界に衝撃を与えた日本人 天才!葛飾北斎の魅力 2017年11月11日 世界一受けたい授業まとめ
2017年11月11日放送の「世界一受けたい授業」より
世界に衝撃を与えた日本人 天才!葛飾北斎の魅力
今年5月、イギリスの大英博物館で行なわれた「ある日本人」の美術展が、行列ができるほどの大盛況!
その人物とは、江戸時代の天才絵師・葛飾北斎。
3か月で延べ15万人が訪れ、新聞社も大絶賛。
また、ニューヨークで開かれたオークションでは、北斎の版画1枚に1億円以上の値が付き、話題となりました。
さらに、アメリカの雑誌「LIFE」が発表した「この1000年で最も偉大な業績を残した100人」に、エジソンやガリレオと並んで日本人で唯一、北斎の名前が載ったのです。
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北斎と言えば、富士山ばかりを描いた「冨嶽三十六景」が有名ですが、その中でも一際人気の高い「神奈川沖浪裏」。
この絵は、筆と定規の他に”ぶんまわし”とも呼ばれていたコンパスを使って描かれました。
北斎曰く「すべてのものは円と角だけでも描くことができる」
そんな北斎を研究し続けているのが、東京大学非常勤講師・ピーター・J・マクミラン先生。
アイルランド出身の翻訳家で、百人一首を英訳し、日本翻訳文化特別賞を受賞しました。
改名を繰り返した北斎
北斎は、画家としての名前(雅号)を30回以上も変えていました。
北斎を名乗っていたのは40代の頃でした。
弟子に名前を譲ると、お金をもらうことができました。
北斎はお金の使い方が荒くていつも貧乏だったので、頻繁に改名を繰り返しました。
1760年、現代の東京・墨田区生まれの北斎
19歳のときに、役者絵の第一人者である勝川春章に弟子入りしました。
そこでたちまち北斎の役者絵が評判になりました。
北斎のここがスゴイ① 世界に名を広めた作品
北斎は、風景画や美人画など、さまざまな作風の作品を残しています。
なかでも人気だったのが「北斎漫画」でした。
人気絵師だった北斎のもとには弟子がたくさんいたため、個別に指導するのが大変でした。
そこで、絵のお手本となるよう様々なスケッチを本にしたものが、世にいう「北斎漫画」です。
「すずめ踊り」を一つ一つ連続して見ていくと、まるでアニメーションのように生き生きと動き出しました。
当時、西洋でも人気となった「北斎漫画」ですが、どうやって作品が海を越えて伝わったのでしょうか?
それは、美術品を保護する「緩衝材」として伝わったのでした。
日本から西洋に陶磁器を送るとき、割れないように紙を緩衝材として使っていて、そこに「北斎漫画」が混じっていたのです。
それを偶然見つけた西洋の人たちは、陶磁器よりも北斎の絵に驚きました。
当時「北斎漫画」は安かったので再利用していたのです。
「北斎漫画」には遠近法の勉強の仕方も載っていて、当時の教科書でした。
北斎が90歳で亡くなるまで93回もしたこと
北斎が90歳で亡くなるまで93回もしたこと、それは「引っ越し」でした。
北斎は引っ越しばかりしていたせいで、江戸時代の有名人が載っている本で「居所不定」と書かれていました。
北斎が引っ越しばかりしていたのは、飽きっぽい性格だったからかも知れませんが、それが新しいスタイルの作品に挑戦する原動力になったのかもと先生は言います。
北斎の代表作となった「冨嶽三十六景」は、北斎が72歳のときの作品です。
改名を繰り返したため、これを描いたときの雅号は主に「北斎改為一(いいつ)」「前北斎為一(いいつ)」だったとされています。
北斎のここがスゴイ② 世界中の芸術家が真似をした!?
近代絵画の父と呼ばれたセザンヌが、南フランスの美しい山を描いた「サント=ヴィクトワール山」。
実はこの絵を描くにあたって、参考にしたとされるのが北斎の絵でした。
この二枚の絵には多くの共通点があります。
遠くに雄大な山を描き、手前に木を置いて遠近感を強調、そして風景を小高い場所から捉えているところです。
フランスの画家・スーラの「失ったオック岬、グランカン」も、北斎の絵を参考に描かれました。
北斎が描く特徴的な波の形を岬に置き換えています。
上空を飛ぶ鳥も含め、構図はほとんど同じです。
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また、踊り子の画家と呼ばれたフランスのドガの作品「踊り子たち、ピンクと緑」。
この少女のポーズは、「北斎漫画」に影響を受けたと言われています。
足を開き腰に手を置いた何気ないポーズ、人物の角度なども「北斎漫画」と一緒です。
ドガが、アメリカの印象派・カサットと共に描いた「青い肘掛け椅子に座る少女」も「北斎漫画」に影響を受けたと言われています。
それまでの西洋絵画に見られる少女は、行儀の良いポーズで描かれていたため、この少女の退屈そうなポーズはまさに「北斎漫画」の影響と言われているのです。
それまで西洋絵画では、「北斎漫画」のようなポーズはありませんでした。
いつも美しくきれいなポーズでした。
ガラスアートのガレの作品も北斎の絵にそっくりです。
パリで開かれた日本美術展を見てから、自分の作風を変えたそうです。
「冨嶽三十六景」は実は四十六枚!?
北斎の代表作「冨嶽三十六景」は三十六枚ではなく、実は四十六枚でした。
「冨嶽三十六景」が大人気となり、あと10枚が追加で描かれました。
人気ドラマでよくやるスピンオフみたいな感じだそうです。
北斎のここがスゴイ③ 富士山の絵に込められた想い
富士山を愛し描き続けた北斎。
彼の最後の大作と言われるのが、真っ白な雪が積もる富士山の絵。
富士山から立ち上る黒雲の中には、龍が描かれています。
龍は、辰年生まれの北斎自身とされ、天に昇るのは出世を意味すると言われています。
また、印章には「百」とあり、「100歳を超えても絵を描き続けたい」という思いが込められているのです。
そんな北斎が遺した最期の言葉がコチラ…
「天があと10年 いや5年 命が長らえることを私に許したなら 必ず本物の絵師になれるだろう」
北斎はこの言葉を遺し、90歳で永眠しました。
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