上村君は何故殺されたのか?「川崎中1殺人事件の真相」
記憶に新しい「川崎中1殺人事件」。
その背景を詳しく描写している記事を見て、その真相に驚愕しました。
以下に引用させていただきます。
いじめられっ子たちが上村君を殺すまで【川崎中1殺人事件の真相】
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いじめられっ子たちが上村君を殺すまで【川崎中1殺人事件の真相】12/14(木) 6:00配信
近年、殺人で逮捕される未成年者の数は、年間40~60人台を推移している。
事件が起こるたびに、少年たちの凄惨な事件が報じられ、凶悪な少年に対する批判が起こる。
特にインターネットでは「こんな悪い奴は死刑しろ」などという言葉が飛び交うことも少なくない。だが、私がこれまで見てきた殺人で逮捕された少年の多くは、凶悪な非行少年というより、いじめられたり、虐待をされてきたりした経験を持っている「社会的弱者」と呼ばれるような子だった。
なぜそういう少年たちが殺人を犯すのか。
2015年2月20日、川崎区の多摩川河川敷で17歳~18歳の少年A、B、Cが、中学1年の上村遼太君をカッターナイフで43回切りつけて殺害するという事件が起きた。
この度私はこの事件ルポ『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』を上梓したばかりだが、本書をもとに加害少年らの特性について考えてみたい。
家にも学校にも居場所がない
主犯の少年A(事件当時18歳)は、トラック運転手の日本人の父親と元ホステスのフィリピン人の母親との間に生まれたハーフだ。
他に姉が2人いる。川崎区にある家はローンで買った1軒家。祖母も同居しており、家族仲は取り立てて悪いわけではなかった。
両親のしつけは厳しかった。
Aが言うことを聞かないと、父親は拳で殴ったり、足で顔を蹴ったり、6時間も正座させることがあった。
母親もそれを止めず、自身もハンガーで殴るなどしていた。公判で父親はこう語っている。
「2回口で言ってわからなければ、手を出すということは本人に言ってありました」
これが悪いこととは思わず、正しいしつけだと信じていたのだろう。
一方、小学校では同級生からハーフであることをからかわれていた。
「おい、フィリピン!」と呼ばれたり、ちょっかいを出されたりするなど、いじめにあっていたのだ。家にも、学校にも、居場所がなかったのだろう。
Aは近所イトーヨーカドーにあるゲームセンターに入り浸るようになった。このゲームセンターは、同じようないじめられっ子や不登校児のたまり場になっていた。
不良たちは川崎駅近くのゲームセンターに行くが、立場の弱い子はイトーヨーカドーで時間をつぶす。
Aはそこに集まっていた同世代の子供たちと仲良くなり、グループをつくるようになった。中学校に進学した後も、Aを待っていたのはいじめだった。
友人の1人は語る。「Aは不良グループにパシリにされてた。年下のグループからも目をつけられて不登校になったほど。
あいつはゲームセンターで仲良くなったゲームやアニメオタクの連中を引き連れて、隠れてタバコを吸っていきがってたな。
不良の前では偉ぶれないから、自分より弱いオタク連中の前でいきがるんだよ。本当にせこくてビビりな奴だった」自分より弱い子たちを集めて虚勢を張っていたのだろう。
ただ、彼自身もゲームとアニメのオタクだったのだけれど。中学卒業後、Aは一時期下級生にいじめられれて不登校になり勉強が遅れたこともあってか、全日制の高校へは合格できず、定時高校へ進学することになった。
のび太みたいな奴
少年B(事件当時17歳)もまた日本人の父親とフィリピン人ホステスの母親との間に生まれた。
家庭環境は、Aより複雑だったようだ。
父親はBが生まれて間もなく家から出ていった。別の男性と結婚して妹を産むも、すぐに離婚。
2人の子供を抱えるシングルマザーとなった。一時期、母親はフィリピンに帰るが、Bが小学校に上がる直前に日本にもどってくる。
そして夜の商売をしながらBと妹を育てるのだ。だが、母親は家にはほとんど帰らず、育児放棄に近い状態だった。
そのため、小学生のBが妹の保育園の迎えをしたり、夜明けまで家を守ったりしなければならなかった。母親が抱えていたもう一つの問題は日本語の能力だった。
日本語をほとんどしゃべることができず、感情的になるとタガログ語で怒鳴り散らし、子供たちを殴りつけた。
Bはタガログ語がわからなかったため、なぜ怒られているのかさえ理解できず、暴力を受けるしかなかったという。そんな環境もあったのだろう。
Bはコミュニケーションを取って人と真っ当な関係を築くのが苦手だった。
また、汚らしい格好をしていることや、ハーフであることなどを理由に、学校ではいじめにあっていた。中学になり、母親が新しい彼氏と家で同棲をはじめたことで、Bは家族から距離を置くようになる。
つるんだのは、学校の不良グループだった。
しかし、彼はいいように使われる「パシリ」だったという。友人は語る。
「Bはのび太みたいなやつだよ。いつも不良にいじめられてた。存在感が驚くほどなかったね。
同じ中学だったのに、たまたまSNSで知り合うまで存在すら気付かなかったから。あいつは不良グループに連れ回されて、パシリや万引き、それにカンパをやらされていた。
カンパっていうのは、不良のための金集めだよ。物盗んだりしてかき集めてたんじゃないかな」母親は、そんなBと向き合おうとしなかったようだ。
学校からBの素行を注意されたところ、母親はBを二度にわたってアメリカの親戚宅やフィリピンの実家に何カ月も置き去りにした。
面倒をかける子供を自分から遠ざけて済ませようとしていたのだろうか。Bからすれば海外にいる間はろくに会話すらできなかっただろうし、日本にもどってきても友人関係を築くことはできない。
再び不良たちのところに舞いもどり、いいように使いパシリにされた。中学卒業後、彼は通信制高校に進んだ。
当時、母親は同棲相手と別れ、また別の男性との交際を始め、近所のマンションに引っ越した。だが、母親はBに家の合鍵すら持たせていなかった。
Bはポストから携帯電話のコードをつかって鍵を開けて出入りしていたという。そんな憤懣もあったのだろう。やがてBは非行が目立つようになる。
気が弱く、腕力もなかったことから、暴力ではなく、もっぱら万引きばかりしていたそうだ。ぬいぐるみを抱いて会話
AとBが出会うのは、Aが高校2年、Bが高校1年の春のことだ。
2人は共通の友人から紹介されたのをきっかけに、つるむようになる。
同じフィリピン人の母と日本人の父を持っていること、アニメとゲームが好きなことが意気投合した理由だった。2人の周りには、ゲームセンターで知り合った同じような家庭環境の少年たちが何人かいた。
母子家庭の子や、虐待を受けている子も多かったのだ。
みなフリーターか、定時制か通信制の高校へ通っていたため時間を持て余していた。彼らは連日深夜までつるんで町をブラブラし、アニメやゲームをする金ほしさに、万引きをしたり、寺や神社の賽銭泥棒をしたりしていた。
そんな中でグループに加わったのが、少年C(事件当時17歳)だった。
Aと同じ中学の卒業生。高校でもAと同じクラスになったことから親しくなったのだ。Cは昔から1匹狼的なところがあり、「キレたら何をしでかすかわからない奴」と言われていた。
自分の気に食わないことがあれば、相手が教師であっても飛びかかって暴れる。
ただ、不良というより、裁判で発達障害の傾向があると指摘されたように、周りにはあまり理解されないような行動が目立ったらしい。
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p>友人の話である。
「Cはわけわかんないやつだよ。話すときはぬいぐるみを抱いて、それを介して話すんだ。
ディズニーのぬいぐるみを抱いて『ねー、何するー』とか『タバコ吸いたいよねー』と言ってきたり。
Aなんかはそれに付き合って、一緒にぬぐるみを抱いて話してたね。Cがやばい奴っていうのは有名だった。
あいつは自分がやりたいと思ったこと以外は絶対に許さないで、邪魔されるとキレて暴れだす。
そうなったら手に負えない。だから絶対に彼の意にそぐわないことをしちゃダメって感じだった」こうしてA、B、Cがつながる。
AはCに傾倒して暴力的な言動が目立つようになり、サバイバルナイフを携帯するようになる。
しかも、Aは酒癖が極端に悪く、酒を飲むと一気に暴力的な性格になり、友人でも酒屋の店員でも絡んで暴力を振った。
Aのグループの仲間たちは、一様に酒の場でAに暴力を振るわれている。今回の事件のきっかけは、些細な誤解からだった。
被害者の上村遼太君は当時中学1年生。
両親は離婚しており、家には5人きょうだいに加えて、母親の恋人が同棲しはじめていた。
こうした環境なども影響していたのだろうか、遼太君は先輩たちとつるんで深夜まで家に帰らないようになっていた。ただ、まだ13歳。
不良というより、先輩の真似をして煙草を吸ったり、公園にたまったりするくらいの少年だった。Aがそんな遼太君と知人を介して知り合ったのは年末のことだった。
お互いにアニメとゲームが好きだということで意気投合する。
間もなく、Bとも同じ知人を介して親交を深めた。当時、Aは不登校になっており、Bは高校を中退していた。
そうした影響もあったのか、遼太君は周りの真似をするように3学期から中学に行かなくなる。
学校の友達より、夜遊びをしている先輩グループの方に居心地の良さを感じてしまったにちがいない。一緒にいただけで友達なんかじゃない
それでも、Aたちのグループは深い信頼関係でつながっていたわけではなかった。
2、3日に一度は集まって明け方まで遊んでいたにもかかわらず、誰1人としてお互いのことを親友のようには思っていなかったのだ。友人の1人はこう語る。
「Aはめんどくさいから付き合いたくないよ。
ゲームやアニメがあるからまだ何とかできたって感じ。
アニメの話をしているぶんにはあいつと深く絡まなくていいし、ゲームしていればゲームのことだけ考えていればいい。なぜAたちと付き合っていたのかって、1人でいるよりはマシだからかな。
俺も母子家庭でいじめられていた。不登校になって高校へも行かなかった。
つるんでくれたのはAたちだけ。だから、一緒にいただけで友達なんかじゃないんだ」こんな関係では、お互いのことを支え合ったり、思いやったりすることはできない。
頻繁に会いながらも、オンラインゲームでつながっている相手のような希薄な関係性でしかなかったのだ。そんな少年たちが夜の町で群れたところで、すぐにうまくいかなくなるのは当然だ。
ある日、Aは酒を飲んだ勢いで遼太君に絡み、手を上げて顔に怪我を負わせてしまう。
これに怒ったのが、遼太君の学校の先輩とその兄であるX兄弟だった。
彼らはAが賽銭泥棒をして金を持っているのを知ると、遼太君に暴行したことを口実に家に押しかけて警察沙汰を引き起こす。この一件後、Aは遼太君を逆恨みするようになる。
2月19日の夜、AはB、Cと酒を飲んでいるうちにまた気が大きくなり、遼太君に暴行をすることを決意。
彼を呼び出し、夜中の多摩川の河川敷へと連れて行く。最初はただ殴るだけのつもりだったそうだ。
ところが、Cが自分のカッターをAに渡したことで事態が急変する。
Aは虚勢を張って遼太君の体をカッターで体を切りつける。
服が血に染まったのを見て、「バレたら(遼太君の先輩に)復讐される」「警察に捕まる」と考え、殺害することを決意するのだ。だが、もともと臆病なAには、ひと思いに人を殺すだけの意思がなかった。
それでBやCにカッターで切らせたり、真冬の川で複数回に渡って泳がせたりなどする。
約1時間の間に切りつけた数は43回。
遼太君は、気の弱い少年たちの「ためらい」「虚栄心」「アルコールの勢い」などで血だらけにされたのだ。結局、Aたち3人は、その場で遼太君を殺害することができなかった。
まだ息があるのを知りながら、河川敷に放置したまま立ち去る。
遼太君は大量の血を流しながら23.5メートル這ったが、途中で力尽きてしまう。その間、AたちはCの家にもどり、日が出る頃までゲームをして過ごしていたという。
アニメやゲームを通じた「知り合い」でしかない
こう見ていくと、事件は残虐な不良少年によって引き起こされたというより、不良にすらなれなかった子供たちが社会にも学校にも居場所をつくれずに群れて引き起こしたということがわかるだろう。
加害少年たちの人間関係の希薄さには、驚かされるばかりだ。
裁判の最中、BやCはさも当然のようにAのことを友達とさえ思っていなかったと発言し、お互いのことについては面識さえほとんどないというのである。
頻繁につるんで酒を飲み、遊びに行っていたにもかかわらず、だ。彼らはアニメやゲームを通じた「顔見知り」でしかなく、全員が人間としてつながっていなかったのだろう。
だから、お互いの感情に無関心なばかりか、遼太君の痛みを考えることなく、あまりにも自分勝手な理由で43回もカッターを振り下ろして殺害することができたのだ。A、B、Cがどういう経緯で遼太君と出会い、何を思って連日夜までつるみ、そしてどんな気持ちで殺害にいたったのか。
弱者が殺人鬼へと変貌する詳しいプロセスについては、ぜひ『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』を読んでいただきたい。
事件が引き起こされた原因の1つが、彼らのあまりにも浅くもろい人間関係にあることがわかるだろう。2016年、少年3人への判決が出た。
最短で4年以上。最長で13年以下の、少年刑務所での懲役である。ただ、彼らの心の闇は深い。
多摩川の河川敷で遼太君を殺害した後、3人はCの家に行き、事件のことについてはほとんど触れることなく、朝がくるまでひたすらゲームをしていたのだ。
遼太君を43回も切りつけて殺したことの重大性をわかっていなかったのだろう。そんな少年たちをいかに更生させて、社会にもどすのか。
遺族はどう事件を受け入れて生きていくのか。
1人1人がきちんと考えていかなければならない問題である。
石井 光太
[出典:いじめられっ子たちが上村君を殺すまで【川崎中1殺人事件の真相】(現代ビジネス)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171214-00053702-gendaibiz-bus_all&p=1 ]
この記事を読んで思ったことは、「生まれつきの悪人はいない」ということと、「弱い人間こそが殺人を犯す」ということです。
少年AとBの共通点は「ハーフであることをからかわれた」、そして「家に居場所がなかった」。
芸能界にもハーフタレントはたくさんいますが、やはりいじめられたという話はよく聞きます。
それでも家族の支えがあれば、立派に育つものですよね。
子どもにはやっぱり、帰る家が必要なんだと。
たとえ貧乏でも、暖かい家庭さえあれば。
「金スマ」で、ANZEN漫才のみやぞんのお母さんは、貧しくても明るい人だったと言っていました。
やっぱり環境は大事ですね。
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