将棋界やスポーツ界で、10代の若者が活躍している現代の日本。
そんな中、15歳で起業し16歳で1億円を調達した高校生の起業家がいると言います。
以下のサイトから引用させていただきます。
15歳で起業し1億円を調達した高校生は、どう育ってきたのか
15歳で起業し1億円を調達した高校生は、どう育ってきたのか 2018.1.20 QREATOR AGENT
16歳にして、1億円の資金調達を成し遂げたワンファイナンシャルCEOの山内奏人。
小学6年生で国際的なプログラミングコンテスト「中高生国際Rubyプログラミングコンテスト」で最優秀賞を獲得し、これまでに数々のベンチャー企業を渡り歩いてきた現役高校生だ。
彼がプログラミングに出合ったのは10歳の時。
“天才プログラマー”と呼ばれる青年は、自らのキャリアをどのように積み上げてきたのだろうか。
(文・編集/福田さや香+YOSCA、企画編集/武田鼎・FIREBUG)
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p>小さい頃は一人で黙々と遊ぶタイプだった
東京六本木・ミッドタウンの交差点のビルのワンフロアが、山内の会社「ワンファイナンシャル」が新しく移転したオフィスだ。
「今は社員は3人です。昼間、僕は高校に通っています」と笑顔で語る上から下まで黒一色のいでたちの山内。
おしゃれに敏感な年頃だろうが「考えるのが面倒くさいだけですよ」とまるでアメリカの大物起業家たちのような口ぶりだが、その表情はまだあどけない。
16歳にして「1億円」を調達した起業家は、意外にも「昔は人見知りだった」と話す。
小学校低学年の頃は人と話すのが苦手で、一人で遊ぶことが多かった。
当時、熱中していたのは、昆虫の飼育だ。「近所の畑から、青虫を50匹くらい取ってきて育てていました。
でも、サナギから蜂が湧いてしまって、蝶にはならなくて。
図鑑で調べながらトライアンドエラーを繰り返し、ようやく卵の状態で取ってくるか、成虫に卵を産ませて孵化させるという方法にたどり着きました。
畑の青虫にはもう寄生虫がいるので、卵のうちから育てないとだめだったんです」試行錯誤をしながら黙々と取り組み、目標を達成していく──。
それが幼い頃の遊び方だった。パソコンに初めて触れたのは6歳の時。
シャープ製のノートパソコン「メビウス」を父から譲り受けたが、故障してインターネットに接続することができない代物だった。
それでも、ワードやエクセルにのめり込み、それらをマスターした山内がはまったのが、コマ撮りアニメの制作だった。NHKで放送されていた粘土で作るクレイアニメ『ニャッキ!』の舞台裏を紹介する番組を見たのがきっかけ。
撮影方法を学び、粘土で作った木が育っていく様子を撮影してアニメにした。
そのコマ数、実に3万以上。ワンシーンごとに木が育つ様子を粘土で成形しながら、撮影を進めていった。
制作には編集ソフトが必要だったが、2年分の誕生日プレゼントを両親から”前借りで調達”した。「パソコンの中に入っていたソフトは遊びつくしちゃったので、後は自分で楽しいことを作るしかなかったんですよね。
インターネットが使えたらYouTubeなどを見ていたかもしれませんが、パソコンがネットに繋がらず、見ることができなかったので。
もし普通にネットを見てYouTube見ていたら、こんな風にはなっていなかったかもしれませんね」図書館で出合ったプログラミングの本にのめり込む
プログラミングに出合ったのは、偶然だった。
図書館でアニメ制作関連の本を見ていたところ、隣の棚にあったプログラミングのコーナーが目に留まったのだ。
その中から、一番簡単そうに見えた「C++」の本を借りた。「プログラミングでは、つまずくこともありました。
でも、インターネットで調べることはできないし、相談できる人もいない。
なんとか本で調べて試していくうちに、だんだんとプログラムが作れるようになっていったという感じです」プログラミングにのめり込んだ理由は、バグをつぶしたときの達成感だった。
ミスをいかになくすか、挑戦するのが面白かったのだ。
彼はC++に満足すると、今度は地元のコミュニティーセンターで開かれていた、プログラミング言語のRubyを学ぶ教室に参加することにした。「そこで習ったRubyが面白くて。C++よりも突き詰めていける感覚がありました。
それ以降、月に1回くらいのペースでRubyの勉強会に参加していましたね」「Rubyプログラミングコンテスト 2012」で最優秀賞を受賞したのは、プログラミングを始めてから1年が経った11歳の時だ。
山内が作った、時間割に応じて宿題などのタスクがメールで通知されるシステムが評価されたのだ。
プログラミングという楽しみを見つけ、同時に自信もつけたことで、もう彼は以前ほど人見知りをしなくなっていた。
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p>米国で感じた危機感を胸にスタートアップで「戦い方」を学ぶ
12歳の時、転機となる出会いが訪れる。
シェアオフィスで作業していたところ、dely代表取締役の堀江裕介氏に「うちの会社においでよ」と声をかけられた。
これをきっかけに、当時delyが取り組んでいた、フードデリバリーサービスの立ち上げに参加することになる。「何社かスタートアップで働かせてもらった中で、delyが一番印象に残っています。
堀江さんからは、マーケットのシェアを取るための戦略や、パートナーの選び方、なにより戦う姿勢を学ぶことができました」結果的にdelyは、フードデリバリーサービスから撤退し、今では巨大な料理動画プラットフォームとなった「kurashiru(クラシル)」へとピボットすることになる。
だが、堀江たちの”熱”に山内は感化された。
戦い方を学んだ山内は、15歳で起業を決意する。
その胸には、14歳の時に訪れた米国で感じた危機感があった。現地でAppleやMicrosoftなどを訪問したが、そこに日本人はほとんどおらず、世界という舞台では自分が圧倒的なマイノリティだった。
大企業からスタートアップに転職することも珍しくない米国などに比べ、日本は挑戦できる環境が十分に整っていないと痛感した。「米国に行ってからは、良くも悪くも焦るようになりました。
ただ学生でいるのではなく、どんなフィールドでもいいからとにかく戦って、自分の目線を世界で戦う人たちのレベルに近づけたいと考えるようになっていったんです」それでも僕は東京から世界へ挑戦していきたい
起業した山内は、2016年にビットコインのウォレットサービス「WALT」(現在はサービス終了)をリリース。
さらに2017年8月には、クレジットカードをスマートフォンでスキャンするだけで決済ができる、個人間決済アプリ「ONE PAY」をリリースしている。「『ワンファイナンシャル』という社名の通り、世界中を一つの経済圏にしたいと思っているんですよ。
クレジットカードなら、世界中でユニバーサル通貨のように使えますよね。いまは僕の壮大な仮説を検証しているところなんです。
いずれ、すべての人が同じインターフェースを通じて、さまざまな経済圏を横断的に生きていけるような社会の実現を目指しています」2017年10月、同社は1億円を調達し、「孫正義を超えたい」と言ってのける山内だが、「ソフトバンクのように世界で戦える企業になるには、まだ時間をかけて成長していくことが必要」と冷静だ。
「世界レベルで見たら、僕なんて少しもすごくないですよ。
世界で戦うには、日本で生まれたことが不利に働く面も多いです。それでも僕は、日本の東京から挑戦していきたいと思っています。
やっぱりマーケットは大きいですし、さまざまな顔を持つこの街は、まるで狭い土地にいろいろな国があるかのようで面白いですから」「2年以内には世界に進出していたい。起業も仮説と検証の繰り返しです」と山内は展望を語る。
青虫からアニメ制作、果ては起業・経営まで。
16歳の壮大な仮説と検証は続く。
(記事提供:Qreator Agent)
[出典:15歳で起業し1億円を調達した高校生は、どう育ってきたのか(QREATORS @Business ダイヤモンド・オンライン > http://diamond.jp/articles/-/156419 ]
世界ではよくこういう話を聞きますが、日本でも彼みたいな人がどんどん出てきてほしいですね。
そしてこういう人を育成するために、国がどんどんバックアップしてほしいと思います。
スポーツの世界でジュニアの育成がされているみたいに、起業家を目指すジュニアを育成するように…。
そのために税金が使われるなら嬉しいなと思います。
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