秋篠宮眞子さまと小室圭さんの結婚報道に日本中が喜んだ矢先、小室さんの家庭内の事情が週刊誌報道などでクローズアップされてきました。
その影響なのか、宮内庁から「結婚延期」の発表が…。
皇族ゆえに自由に結婚できない事情を「戸籍」という観点から考察した記事を引用させていただきます。
眞子さまはなぜ自由に結婚できないのか? 「非戸籍の日本人」の苦悩
眞子さまはなぜ自由に結婚できないのか? 「非戸籍の日本人」の苦悩 2018.02.08
これは国民全体の責任かもしれない
井戸 まさえ
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p>眞子さまと小室圭さんの「結婚延期」が発表された。
実はそこには、週刊誌報道とは無関係の、ある事実が深く関わっていた。天皇と皇族には戸籍がない――これは何を意味するのか?
無戸籍者の問題を追い続けてきた井戸まさえさんが、皇族と戸籍について考察する。眞子内親王に戸籍があったら…
ここにも戸籍がなくて、苦悩する若者がいる。
秋篠宮眞子内親王。宮内庁は6日、内定していた法律事務所社員の小室圭さんとの結婚が延期されると発表し、眞子内親王のコメントを公表した。
「それが叶わなかったのは私たちの未熟さゆえ」この言葉の中には様々な事情が垣間みえる。
もし、眞子内親王に戸籍があったら、憲法24条により、親の同意も、関係者の理解もいらず、ふたりの意志だけで婚姻する選択肢はあったはずである。周囲の反対があっても、共に働き、経済的独立を果たし、互いを支え合い家庭を作る。
だが非戸籍者である皇族は戸籍を持つ者の他力を借りなければ、戸籍を作ることも、意志があったとしても婚姻することもできないのである。皇族に「入る・出る」ということ
天皇と皇族には戸籍がない。
天皇ならびに皇族に関する身分事項は、皇室典範および皇統譜令に定められた「皇統譜」に記される。「皇統譜」は天皇・皇后に関する事項を扱う「大統譜」、その他の皇族に関する事項を扱う「皇族譜」の二種があり、皇室の身分関係(家族関係)、皇統を公証する。
婚姻により皇室に入る民間人は、それまでの「戸籍」を失うことになる。逆に結婚して皇室を出る女性皇族は、自分の戸籍を持たないまま夫を筆頭者とする戸籍を作り、そこに登録される。戦後に改正された皇統譜令(1947年政令第一号)においても従前の皇統譜を継承するものとされた。
皇族の身分を離脱した者は皇統譜から除籍、新たに戸籍を編纂。非皇族=「臣民」の戸籍に入ることを「降下する」という。離婚や離縁があっても元皇族は復籍することはない。
皇族女子が臣下に嫁すことで皇族でなくなる場合は臣籍降嫁(しんせきこうか)と言うが、新憲法下では皇室離脱となり、明治以降約40例の記録が残る。最近では紀宮清子内親王、高円宮典子女王の例がある。
1947年には「皇族の身分を離れた者及び皇族となった者の戸籍に関する法律」が制定され、死別、離縁等の事情があるときには女子のみ皇族の身分を離れることができると規定された。「納采の儀=結納」の大きな意味
【憲法第二十四条】
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。婚姻は上記憲法第24条のもと制定されている戸籍法第74条に従って届け出ることによって効力が生じる。
その手続きは簡単で、民法第739条第2項により届出は当事者双方及び成年の証人二人以上から、書面又は口頭で行なう。ただ、実はいつ結婚が成立したかに関しては国家法と「届出」と社会習俗の「結納・挙式」の間で乖離があることが明治以降に問題となってきた。
まさに今回の眞子内親王の婚姻延期の発表が、一般の「結納」にあたる「納采の儀」の前に行なわれたというのはひとつのポイントである。最近では「結納」をする人は減ってきている。
しかし、なおも婚姻はその予約ともいう「結納」、その後に挙式披露宴をし、婚姻届出を提出して結婚生活が始まる、というのが「順序」とされている。どこで婚姻が成立するかといえば、いわずもがな民法第739条第1項により「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによって、その効力を生じる」である。
明治民法第775条第1項も同趣旨であったが、結婚の社会的承認である結納、挙式、また披露といった儀式、また実質の婚姻生活の始まりと、法律上の届出との間に乖離があることが、明治時代から大きな問題となっていた。実質の婚姻生活が存在しても、当時の女性たちは届出をしたくとも戸主が反対したり、「跡取りを生むまでは届出を認めない」というものもあったりで、届け出を出すに至らない場合が多かったのである。
こうした中で「結納」は大きな意味を持った。結納をし、婚約をすれば、当事者同士に婚姻への意志があり、内縁として夫婦に近い身分関係を認め、縁夫、縁女と言われ、服忌の義務も生じるとされた。
縁女が密通すれば、姦通罪にも問われたのである。こうしたことは現在での「婚約不履行」等にもつながってくるところでもあるが、当事者が結婚の意志を示すだけでなく、儀式として社会的承認をえる「結納」を行なう前か後かでは二人の権利義務関係は相当に違ってくる、ということなのだ。
つまり「結納」前ならば引き返せる、ということでもある。
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p>宮内庁が「婚約」でななく「婚約内定」解消も視野に入れているかどうかはわからない。
しかし「婚約」ではなく、今の状態は「婚約内定」。
ことほど左様に、女性皇族の皇室離脱は用意周到に準備されていくとも言える。「国民の象徴」であり「非戸籍の日本人」
かつて三笠宮崇仁親王は皇族は「奴隷的な拘束」という言い方をして、その縛られた生活を表現した。
皇族は良心の自由・信教の自由・表現の自由・子育ての自由・選挙等政治活動の自由・その他の自由・権利行使が限定的となり、その「枠」は自己決定するわけにはいかず、男子皇族には「脱出する選択」が自らには与えられていないという不条理を抱えていることを率直に表現した。加えて言えば、婚姻の自由も制限される。
国民主権、基本的人権、男女平等――。
天皇と皇族は「国民の象徴」であり「日本国憲法」を尊重しつつ、それとは違う価値をも継承することこそが「非戸籍の日本人」としての「機能」として求められる矛盾を咀嚼しなければならない。
「権利保障体系に基づいて、窮極の「人権」が語られるべきだと思う。ある制度(生活環境、身分など)のために、本来普通の人間すべてに保障されているはずの権利・自由が構造的に奪われているばあいは、なん人ともその制度の枠組みから逃れ、ふつうの人になる「脱出の権利」(right to exit)があるべきである。「脱出の権利」によって達成されるのは「ふつうの人間」になることであり、「ふつうの人間」になることによって権利保障体系をみんなとおなじように享受することができる。その意味で「脱出の権利」は人道無視の重大な侵害を受けている者に認められる切り札であり、窮極の「人権」である。[……]
ただ、天皇・皇族が違って考えられるのは特別範疇の人たちが特権的地位や居心地の良さを放棄し、その階層から脱出さえすればこの人たちも「ふつうの人間」になり、そうすることのよって”人権”が回復されるはずだという理屈の裏打ちがあるからである。」(奥平康弘『「萬世一系」の研究』P380?381)「日本人」の公式な証明となる「戸籍」に決して記載されることのない天皇および皇族を、日本国籍を持つ「国民」とみなすべきなのか否かについては、今なお確立した定説がない。
皇族自身が「無国籍者」意識さえ醸造してきた「戸籍秩序」に関しては、今回の眞子内親王のご結婚延期発表からも新たな考察が必要であろう。「眞子」のお名前は秋篠宮ご夫妻で決められ「まじりけがなく自然のまま」という意味の「眞」の字に、「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」願いを込めて命名されたという。
お相手の状況等、報道されるような事情が含まれているか否かはわからない。また、この論考ではそこにはフォーカスしない。
ただただ、こうした誕生時に受けた素朴な親の願いが、婚姻という人生の大きな選択でも叶えられる環境が保障される状況が作られていないというのは、日本国民全体の責任であるとも思う。
[出典:現代ビジネス(講談社 > http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54396 ]
果たして眞子さまと小室さんの結婚はどうなるのか、一国民として心配しております。
借金の問題があるなら、宮内庁で清算することはできないのでしょうか。
あるいは善意の寄付を募るとかですね。
皇室の在り方も、時代とともに変わっていってほしいなと思います。
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