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日本で”いじめ自殺”がなくならない根本理由とは!?

投稿日:2018年5月21日 更新日:

未来ある若者が、本来楽しい場所であるべき学校で自殺するというのは本当に悲しい事です。

日本の学校から「いじめ自殺」がなくならない根本理由

先生がいじめた末、生徒は飛び降りた…

内藤 朝雄 明治大学准教授 いじめ問題研究 2018.05.18

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教師がいじめ、生徒は自殺した

2017年3月、福井県の中学校で、教員に痛めつけられていた少年が飛び降り自殺をした。
新聞は次のように報じている。

福井県池田町教委は15日、町立池田中学校で2年の男子生徒(当時14)が今年3月に自殺したと発表した。
担任と副担任から厳しい指導や叱責(しっせき)を繰り返され、精神的なストレスが高まったことが大きな要因だと結論づけた。(『朝日新聞』2017年10月15日)

学校や軍隊で、生徒や兵士が教員や上官からいためつけられて自殺するケースは、それほどめずらしくない。
距離を自由に調節できず逃げられない閉鎖空間で、誰かが誰かの運命をどうにでもできる場合、追い詰められた人はしばしば自殺する。
これについては、「人格を壊して遊ぶ…日本で『いじめ自殺』がなくならない根深い構造」などで繰りかえし述べた。

今回は、加害者が生徒ではなく、2名の教員(担任と副担任)であった。
地元『福井新聞』は、遺族の言葉を次のように報じている。

「報告書に、厳しい指導叱責、弁解を許さない理詰めの叱責、執拗な指導などを繰りかえし受けた、と記載が何度もありました。
教員と生徒の間の為、叱責という言葉で表現されてはいるものの、私達遺族は、叱責ではなく『教員による陰湿なイジメであった』と理解しています」(『福井新聞』2017年10月18日)

教員による迫害・いやがらせを、「指導」「叱責」という教育の言葉(思考の枠組み)に包み込むと、他人を自殺にまで追い込む残酷さが中和されてしまう。
筆者はここで「中和」という言葉を使った。

この中和は、現実をつくりかえて、都合のよい「あたりまえ」をつくりあげる技術であり、巧妙なしかけでもある。
犯罪社会学者のサイクスとマッツァは、非行少年たちのいいわけを研究した。
そして「中和の技術(Techniques of Neutralization)」という論文で、非行少年が自分たちの行為を正当化し、納得がいくものにつくり変える下記5つの技術について明らかにした。

1. 責任の否定
2. 加害の否定
3. 被害者への拒否
4. 非難者への非難
5. より高い価値への忠誠心への訴え
(Gresham M. Sykes and David Matza, 1957, Techniques of Neutralization: A Theory of Delinquency, American Sociological Review, Vol. 22, No. 6, pp. 664-670)

この論理は、教育関係者やそのとりまきにもあてはまる。
実際にあてはめてみよう(以下は、これまで繰り返されてきたいいわけから筆者が抽出した一般的なパターンである。個別のできごとは、これらの組み合わせになっている)。

1. 責任の否定: 通常の指導をしていただけで、障害や死亡との関係はない。
2. 加害の否定: 教育的な指導をしただけで、加害行為をしていない。
3. 被害者への拒否: 先生の言うことをきかない生徒が悪い。あいつは学校の「みんな」や先生をこまらせるやっかい者だ(あいつの方が真の加害者だ)。
4. 非難者への非難: 教育のことを何もわかっていないよそ者が勝手に非難している。おまえは学校が嫌いなだけだろう。おまえこそ口をつつしめ。
5. より高い忠誠心への訴え: 学校業界固有の聖なる価値〈教育〉が、現代市民社会の根本価値とされる人間の尊厳より高い価値があるかのようなムードをつくる。そして、次のように、加害者を教育価値への忠誠者であると訴える。

これは「教育熱心のあまりのいきすぎ」であり、将来あるセンセイを寛大に扱うべきだ。(露骨に言葉にすると差し障りがあるので、みんなのムードを感じ取ってほしいが)われわれの本当の実感としては、わたしたちが共に生きる、うつくしい教育の形は、死んだり障害を負ったりした「不適応」生徒の命よりも尊い。
このような空気を醸成するためにも、人間の尊厳を踏みにじるできごとを、正義や人権の問題にせず、教育論議にすりかえると都合がよい。

「これは正義や人権の問題ではなく教育の問題である」と誤認させるのだ。
そうすると、より高い価値、教育への忠誠を強調して、学校の残酷と理不尽をうやむやにすることができる。

残酷さや理不尽さを可視化するには

「学校」「教育」という特殊な世界の中だけで通用するものの見方が、「あたりまえ」になると、残酷さや理不尽さが見えなくなる。
目の前にあっても見えない(これについては、「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由」でも述べた)。

このことをはっきりさせるために、今回の事件に関する調査委員会の報告書と、地元紙『福井新聞』の内容を、「学校」「教育」の言葉ではなく、まっとうな市民社会の言葉を用いて叙述しなおしてみよう。
あなたの頭の中で、ものの見え方がどのように変わるだろうか。

税金によって雇われて学習支援サービスに従事する2名の職員がいた。
サービスを提供する側の職員は、住民(自殺した被害者の親を含む)が税金で雇っている公僕である。

この2名は、サービスを受けに来ていた若い市民に対し、さまざまな思いどおりにならないことに言い掛かりをつけ、大声で罵倒する等の迫害を執拗に繰りかえした。
この「思いどおりにならないこと」の内実は、どのようなものか。

学習支援サービスの仕事をする職務では、講習サービス後、「自宅でくりかえしをすると学習効果があがりますよ。いかがでしょうか」とサービスの受け手にアドバイスすることがある。
もちろん、若い市民はサービスの受け手であって、奴隷ではない。
アドバイスどおりにしなくてはならないということはない。

日本の悪名高いカルト宗教「教育教」信徒たちのあいだでは、この学習支援の場所は「学校」と呼ばれ、「ご自宅でくりかえしてみてはいかがでしょうか」というアドバイスの内容は「宿題」と呼ばれている。
そして税金で雇われた公僕である学習支援サービス職員は、「センセイ」と呼ばれている。
また学習支援要員である公僕からサービスを受ける若い市民は「生徒」と呼ばれている。

ここで、学習支援サービスに従事するはずの「センセイ」は、「生徒」が「宿題」をしてこないことに我慢できず、サービスの受け手に執拗な攻撃を加えた。
そして、サービスの受け手である若い市民は、学習支援サービス職員に土下座をしようとした。
土下座をしようとするまで、痛めつけられ、追いつめられ、精神に変調をきたしていたと考えられる。

また、学習支援サービスの場所では、受け手のためのさまざまなレクレーションを提供することもある。
「教育教」信徒たちは、このレクレーション・サービスを「学校行事」と呼んでいる。

もちろん、サービスを受ける若い市民は奴隷ではない。
レクレーションの仕方が気にくわないと、サービス員から嫌がらせを受けるいわれはない。

ところが、福井県池田町の学習支援サービス員は、このレクレーションの運営に参加した若い市民が挨拶の準備に遅れたことに腹を立て、周囲の人が恐怖で身震いするようなしかたで、怒鳴りちらしていた。
また、この学習支援サービス員は、レクレーションの運営に関して、若い市民に不満をいだき、さまざまなハラスメントを繰りかえした。

若い市民は、これらの積み重なる迫害をうけて、過呼吸症を起こすほどになった。
そして、最後に若い市民は、学習支援サービスのために設置した建物から飛び降りて自殺した。

自殺後、別の人をいじめ続けた

驚くべきことに、若い市民を執拗に迫害し自殺にまで追い詰めた(日常語を用いて表現すれば「いじめ殺した」)職員は2名とも、懲戒免職にならず、同じ仕事を続けている。
そして、なんとこの2名のうち1名(副担任)は、その後、自殺させた被害者にしたのと同じ、大声で怒鳴りちらす等のハラスメントを、別の若い市民に対して行った。

新しい被害者は、この迫害ストレスにより、学習支援サービスの場所に断続的に来られない状態(これを「教育教」では「不登校」と呼んでいる)になった。
大声で怒鳴りちらす等のハラスメントを繰りかえしたことにより、精神に変調をきたさしめ、自殺にまで追いつめた場合、暴行罪や傷害罪が成立する可能性がある。
また、被害者を自殺させた後、別の人に同じハラスメントを繰りかえした場合、加害者はきわめて悪質であると判断できる。

ここで、自治体の責任が問われるはずである。
本来ならば、即座に懲戒免職とし、暴行あるいは傷害の疑いで司直の手に委ねなければならない加害者2名(担任と副担任)を放置し、他の利用者にも同じ被害がおよびかねない学習支援業務(「センセイ」)をさせていたのである。
また、学習支援サービス員を教育ハラスメントの怪物に変えてしまいがちな、「教育教」というカルト宗教に侵された公共事業(学校制度)を見直す必要がある。

日本の学校が染まる「全体主義」

ここまで読み進めた読者は、言葉の使い方(認識枠組)が別のタイプに切り替わるだけで、同じ出来事がまったく違って見えることを感じとられたことと思う。
「学校」「教育」の言葉を用いるだけで、残酷や理不尽が見えなくなる。
まっとうな市民社会の言葉を用いると、残酷や理不尽がくっきりと見えてくる。

学校は「教育」、「学校らしさ」、「生徒らしさ」という膜に包まれた小さな世界になっている。
そのなかでは、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色に染め上げられてしまう。
そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。

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こういったことは学校以外の集団でも生じる。
内容が異なるさまざまな現象から共通のかたちを切り出し、別の現象にあてはめてみると、ことの核心について理解を深めることができる。
以下、図を見ながら読み進めていただきたい(図は、拙稿「学校の全体主義──比較社会学の方法から」木村草太編『子どもの人権をまもるために』(晶文社、241ページ)から抜粋)。

 

 

 

 

 

 

 

たとえば、オウム真理教(地下鉄サリン事件を起こした)では、教団にとって都合の悪い人物を殺害することは、魂を高い次元にひきあげてあげる援助(「ポア」)である。
連合赤軍(暴力革命を目指して強盗や殺人を繰り返し、あさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)では、グループ内の権力政治で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしくない」、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。

そして人間の「共産主義化」、「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された(「革命戦士らしさ」を「生徒らしさ」、「総括しろ」を「反省しろ」に代えれば、中学校の生活指導に酷似している)。
学校でも、教育というコスモロジーに包み込んで固有の世界を立ち上げることによって、外部の社会ではとうてい許されない残酷や不正が「あたりまえに」まかり通る。

学校、オウム教団、連合赤軍はそれぞれ、「教育」、「宗教」、「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている(「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由」でも論じた)。
オウム脱会者や元赤軍メンバーは、外の市民社会に戻ってから、「自分はなんという恐ろしい世界にいたのだろう」と身震いする。
それと同様、わたしたちは、「教育」の外から学校をながめることで、これまであたりまえと思っていた学校が、なんと残酷で正気を失った世界なのだろうと驚く。

調査報告書と『福井新聞』の報道を、市民社会の言葉で翻訳した先の文章は、学校と市民社会の現実感覚がどれほど乖離しているかを示す見本例である。
学校は、次の点でオウム真理教や連合赤軍と異なる。オウム真理教や連合赤軍のいいわけは社会からまったく受け入れられない。
しかし、学校や教育に関しては、それを「あたりまえ」と受け入れてしまう習慣が社会に行き渡っている。

学校は、社会のさまざまな領域を、学校の色に染め上げる。
その意味で、学校はオウム真理教や連合赤軍よりも、わたしたちの社会に有害な作用をおよぼす(詳しくは拙稿「学校の全体主義」、「人格を壊して遊ぶ…日本で『いじめ自殺』がなくならない根深い構造」などを参照)。

調査報告書に書かれた、校長の不適切な言動

さて、今回の教員によるいじめ自殺事件を扱った、池田町学校事故等調査委員会による調査報告書は、一貫して誠実なものであった。
一例を紹介しよう。

本調査委員会が第三者機関としての自立性を担保し、何が起きたのかを遺族に説明するためには、学校や教育委員会からの独立性を確保することが必要であるが、遺族との連絡、学校の生徒や教員及び保護者への連絡については、教育委員会を介さざるを得ない場合があるのが現状である。
本調査委員会は独立性に留意し、池田町教育委員会は本調査委員会の独自性を保証すべく最大限の配慮を行ってきた。しかし、当該者との連絡調整は、教育委員会が行ったことは如何ともしがたい事実であり、中立性への疑義を招きかねないことも確かである。

今後、このような調査委員会の設置、組織、運営等に関しては、文部科学省や都道府県教育委員会等を含めたルール作りが必要だと思われる。
(池田町学校事故等調査委員会『調査報告書』52-53ページ)

筆者はかねてから、利害当事者である教委が、調査委員会の設置、組織、運営にかかわる現行制度のもとでは、構造的に、調査委は教委と癒着しがちであり、いわばヤクザに十手を持たせるような結果になりかねないと警鐘を鳴らしてきた。
今回は、なんと、調査委の報告書のなかで、この制度欠陥に対する異議申し立てがなされている。
あっぱれとしか言いようがない。

さらに、調査委は聞き取りをする場所として、学校ではなく生涯学習センターを選んだ。
学校という場所にいるだけで、「いま・ここ」を生きる感覚が集団生活の「しがらみ」モードになり、口を閉ざしてしまうかもしれない。
話を聞くなら、学校ではなく、市民的な場所の方がのぞましい。

報告書には、校長の不適切な言動がことこまかく記されていた。
知っているはずのことを知らないと言った、「遺族に遺書らしきノートを渡す際にカバンの上でバンバンと叩くよう」な(威圧的・敵対的な)しぐさをした、といったことだ。

その後、校長はどうなったか。
退職を余儀なくされてしまった。
つまり(事実上)クビになってしまったのだ。

いじめ自殺と「発達障害」

この、一貫して誠実、まじめ、良心的な調査報告書(全57ページ)のなかに「発達障害」という語が19ヵ所みられる。
医師が診断していないので断定できないとことわりつつも、断定に近いと言っていいほど強く「発達障害」を疑っていることを、文面から読み取ることができる。

本調査委員会では、本生徒の発達障害の可能性を指摘すべきかどうか躊躇した。
それは、本生徒が専門機関による診断や検査を受けていないこと、また発達障害という言葉によって誤解を招く恐れがあり、それによってご遺族が傷つけられることを危惧したからである。

しかし、学校の中には発達障害を疑われる子どもたちが多々おり、本生徒のようにその特性が理解されず、多くの子が苦しんでいることを考えると、本生徒の死を無駄にしてはならないと判断し、用語の使用を決意した。
もとより発達障害の用語の使用により、学校が責任を免れるものではない。
むしろ、生徒の発達特性に応じた生徒指導の欠如が自死を誘発した。
学校では、教師同士が子どもを見合い話し合うことで、子どもの発達特性に応じた指導を心掛けなければならない。
(池田町学校事故等調査委員会『調査報告書』49-50ページ)

現在、精神医学では「発達障害」という枠組(認識と実践の体系)が流行し、診断数が急増している。
現在の「発達障害」枠組を主導する層(医学生や医師を指導し、著作や学会などで方針を導き啓蒙する熱意あるリーダー層)の基本方針(理念的たてまえ)は(末端の現場で多くの医師たちが学校がらみで実際にやっていることはともかく)、学校に合わない異常者をあぶりだし、学校の細胞の一部になるよう治療する(学校制度によって独善的に決められた一方方向に成長を促す)という従来の考え方ではない。
一人ひとりの多様な発達特性に応じ、固有の「こまり感」に着目し、環境調整を行い複線的な発達を支援するというストーリーになっている。

そして、周囲からの「しつけ」と称する虐待などの、環境ストレスによる被害(いわゆる二次障害)を防止することを、重要課題の一つとしている。
「発達障害」に関しても、調査報告書は、現時点での児童青年精神医学の理念に一致する模範的なものになっている。

ただ筆者自身は、次のように考えている。
次回以降で論じるように、DSM-5(APA『精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版』)の「神経発達障害」という概念の組み立て方には問題がある。

仮にDSM-5を受け入れたとして、DSM-5の診断基準は、複数の生活領域で一定程度以上「こまり」があることを条件としているので、学校の集団生活だけで「こまる」被害者を「発達障害」とするのは、過剰診断にあたらないか。
さらに言えば、日本の学校は、自由、人権、個の尊厳、人格権といった先進諸国――あるいはそれにのっとった日本国憲法――の基本価値セットの基準からは大きくはずれた、極端な集団主義・全体主義を採用している。

このような学校の集団生活が求める「こうでなければならない・ああでなければならない」を単一の基準点として、誰かを「発達障害」と診断するのは、何かおかしなことではないだろうか。
それは、連合赤軍が「ブルジョワ的」障害と言い、オウム真理教が「地獄に落ちる」障害と言うのと、どこが違うのだろうか。
むしろ障害が認められるのは、学校制度の方ではないだろうか。(つづく)

[出典:日本の学校から「いじめ自殺」がなくならない根本理由(内藤 朝雄)現代ビジネス(講談社 > http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55701 ]

私見ですが、世の中からいじめはなくならないものだとあきらめて、子どもを守るのは親しかいないと覚悟するしかないのかなと思います。
社会に出てからもいじめはあるわけですから、自分で自分を守る術を身に着ける以外にないかなとあきらめています。

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