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「小学生で既に怪物だった」大谷翔平のエピソード

投稿日:2018年6月9日 更新日:

アメリカでさえも二刀流を成功させている大谷翔平選手は、小学生で既に怪物だった、というお話です。

当時の女房が明かす「小学6年の大谷翔平」

私が目撃した「怪物の目覚め」 2018.06.03

週刊現代 講談社

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「人生で一番は、小学校くらいのときでした」。
あの言葉は、ジョークではなかった。
メジャーリーグを騒然とさせているスーパースターの源流を、そのころ一番近くで見ていた女房役が証言する。

速すぎて捕れなかった

「翔平のボールを初めて受けたときのことは、はっきり覚えています。
正直、ものすごく怖かった。

ストレートがあまりに速すぎて、まったく捕れなかったんです。
岩手の冬は雪が積もるので、暗い屋内練習場でのピッチング練習だったこともありますが、球が全然見えず、まるで練習になりませんでした」

こう語るのは、エンゼルスの大谷翔平(23歳)が少年期に所属していたチーム・水沢リトルリーグで女房役のキャッチャーを務めていた佐々木遼輔さんだ。

4月8日のアスレチックス戦、7回を1安打無失点、12奪三振の内容で2勝目を挙げたあとの記者会見で、「(今日が)人生で一番の投球か」と尋ねられた大谷は、口元に笑みを浮かべながら答えた。

「人生で一番は、小学校くらいのときでした」

ジョークだと思われたのだろう。
記者会見場は笑いに包まれた。
だが、佐々木さんは「あれはきっと翔平の本音でしょう」と言う。

「いまに続く翔平の原型ができあがったのは、小学生のときだった。それは、間違いないと思うんです」

二刀流で、球史に名を刻むことになる怪物を目覚めさせた小学生時代とは、いったいどのようなものだったのか――。

大谷が初めて水沢リトルのユニフォームを着たのは、小学3年生に上がる直前だった。

「水沢リトルは、主に小学5年生までが所属するバンディッツと、小学6年生と中学1年生が所属する上級生チームのパイレーツの2つのチームにわかれていました。
普通は5年生の終わりにパイレーツに上がれますが、すでに上級生に負けない実力のあった翔平は、5年生になってすぐ『飛び級』でパイレーツに進んでいた。
なので、僕が翔平の球を受け始めたのは5年生の冬からです」

大谷は、チームの監督を務める父・徹さんのもとで鍛え上げられ、5年生時には球速110kmを計測するようになっていた。
6年生でも100kmがせいぜいと言われるなかで、すでにそのポテンシャルを見せつけていたのだ。

リトルリーグにおいて、ピッチャーからキャッチャーまでの距離は、約14mと非常に短い。
この距離で110kmのボールを投げられれば、キャッチャーの体感速度は130kmを超える。
まだ5年生の佐々木さんが恐怖を感じたのも無理はない。

このままでは、大谷のボールは捕れない。
子どもながらに危機感を覚えた佐々木さんは、恐怖を払拭するための練習を重ねたという。

「僕の父親もリトルリーグでコーチをやっていたので、普通の練習が終わったあと、5mほどの距離からボールを投げ込んでもらい、速い球に目を慣らそうとした。
でも、最後の最後まで、翔平の球をミットの芯でいい音をたてて捕れるまでにはなりませんでした」

当時の、大谷の投球を収めた映像がある。

力むことなく、ゆったりと振りかぶって左足をあげると、そこから長い腕をムチのようにしならせ、キレのあるボールを佐々木さんのミットに投げ込む。
身体の線こそ細いものの、現在の大谷のフォームに通じるしなやかさが、確かに感じられる。

ピッチングはもちろんのこと、バッティングでも大谷はすでに規格外の逸話を残し、「二刀流」の片鱗を見せている。

水沢リトルのグラウンドは奥州市内を流れる胆沢川の河川敷にあった。

「川はライトの奥に流れていました。
フェンスはホームベースから60mくらいのところにあって、川まではそこからさらに10mくらい距離があった。
普通はフェンスを越えても川まで飛ぶことはまずありません。

ところが、翔平はバッティング練習で打球を次々と川に放り込んでしまうんです。
硬式ボールは、一度水に濡れると使い物にならなくなってしまう。
翔平は監督から『引っ張り禁止』を命じられていました」

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すでにプロの風格

5年生にして、すでに160cmを超えた体格と、小学生離れした野球の力量だけ見れば、大谷は向かうところ敵なしだった。
だが、女房役の佐々木さんの目から見て、大谷が唯一、子どもらしい「幼さ」を残していたのが、メンタル面だった。

「5年生のころの翔平は、気持ちが昂ぶると打席で無理にホームランを狙いに行って高めのボール球に手を出したり、投球でも力んでコントロールが乱れたりということがありました。
そういうときは、あまり怒鳴らない翔平のお父さんが、大きな声で叱っていました」

年齢を考えれば無理からぬことのようにも思われる。
しかし、大谷少年は、このメンタル面においても、大きな変化を見せはじめる。
それは、’06年の7月、12歳の誕生日を迎えたころからだった。

「マウンドでの振る舞いが、目に見えて落ち着いてきたんです。
試合前に話していると、『今日は完投したいから、体力を温存していきたい。今日の相手ならこれくらいの力加減で抑えられると思う』とか、時には『あのバッターは手強そうだから、全力で三振を取りに行こう』とか、まるでプロの選手みたいなメリハリをつけるようになった。
気分ではなく、理性で力の入れどころと抜きどころをコントロールできるようになったのです」

海を渡った大谷が、全米を驚かせたのが、ケタ外れの「修正力」だ。
キャンプでは、投打の両面でメジャーの野球に苦戦しながらも、開幕にあわせてきっちりと修正し、結果を出した。
この修正力の基礎ができあがったのも、同じ時期だったという。

「6年生のときの試合で、翔平がホームランを打ってベンチに戻ってきたんです。
打った球を尋ねると『カーブだよ。前の打席、カーブで凡退したから今回はカーブが来るまで待っていた』と。

あのくらいの年齢だと、来たボールを全力で振りに行くことしかできない。
ところが、翔平は打席ごとに自分に課題を課して臨んでいたんです。
あのころから、翔平が一球、一打席に込める重みは、僕らとはまるで違うものになっていたのでしょう」

人より何倍も早く成長する肉体と技術に、ようやく精神面が追いついた。
この小学6年生の1年間こそが、怪物・大谷翔平の「目覚めの時」だった。

18アウト中、17奪三振

成長のギアを一段とあげた大谷が、リトルの集大成となる「人生最高のピッチング」を見せる日は、すぐにやってきた。
’07年6月3日。中学1年生になった大谷は、リトルリーグ全国大会への出場がかかる東北大会の準決勝を迎えていた。
対戦相手は、強豪の福島リトルだ。

「あの日、翔平は試合前からじっと押し黙っていて、ピリッとした緊張感が伝わってきました。
あれだけ気迫を前面に出した翔平を見たことは、後にも先にもありません。

あの日の翔平のフォームはすごくダイナミックで、投球練習からストレートはゆうに120kmは出ていたし、スライダーのキレも抜群。
『あ、これは打たれないな』と思いました」

実際、プレイボールが告げられると、大谷は先頭打者から9番まで、全員を三振に斬ってとった。
試合会場は福島県郡山市の開成山野球場。

スタンドは地元である福島リトルへの応援で盛り上がっていたが、大谷が繰り広げる異次元の奪三振ショーに次第に静まり返り、誰もがかたずを飲んで見守っていた。
結局、大谷はリトルリーグの規定である6イニング18個のアウトのうち、17個を三振で奪うという一人舞台を演じて、7対1で完勝した。

「相手の4番が左打者だったのですが、試合後に訊いたら『外角の真っすぐだと思って振りにいったらスライダーで、えぐるように内角に入ってきて自分の足にボールが当たった』と言っていました。
本当に、あの日の翔平は神がかっていた」

晴れて全国大会出場を果たした水沢リトルだったが、惜しくも1回戦で東関東代表に競り負けた。
その後、中学1年生の夏から所属するシニアリーグでは、大谷と佐々木さんは別々のチームに進んだ。

「一度だけ、練習試合で翔平のチームと対戦したのですが、僕が翔平のストレートをまさかのホームランにしたんです。
ダイヤモンドを一周する僕を、翔平はニヤニヤしながら睨んでいました。

でも、次の打席からは変化球しか投げてくれず、きっちり抑え込まれた。
試合後に『打ってやったぞ』と言ったら、やっぱりニヤっとして『たまたまだよ、たまたま』って(笑)。かわいい奴だな、と思いました。

先日、翔平がメジャーで初めてのホームランを打ったとき、べンチでニコニコしているのを見て、全然変わってないな、と懐かしくなりました。
あれだけ凄い舞台に身をおいても、翔平は野球少年のまんまなんです」

6年生のあの日、強靭な精神と卓越した修正力という武器を手に入れた野球少年は、今日も成長し続けている。
「週刊現代」2018年5月5日・12日合併号より

[出典:当時の女房が明かす「小学6年の大谷翔平」(週刊現代)現代ビジネス(講談社 > http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55561 ]

大谷選手がこんなに早くメジャーで活躍できるなんて思いもよりませんでした。
毎日、大谷選手が活躍した記事を探すのが楽しみです。

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