高木豊さんが「江川卓はドジャースから誘われていた」と思わず言っちゃった、という話です。
「江川卓はドジャースから誘われていた」 驚愕の事実を高木豊が暴露!〈dot.〉
6/15(金) 19:30配信
野球人として同じ時代を過ごした2人。4月にYouTuberとしてデビューした野球解説者の高木豊さんが配信動画のゲストに江川卓さんを迎えて、作新学院高校時代のことや、世間を騒然とさせた“空白の一日”、メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手など、野球について語りつくした。
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高木:聞きたいことが山ほどあるんですよ。
江川:どうぞ聞いてください。でも言えることと言えないことがありますよ(笑)。
高木:わかっています。まずは、“昭和の怪物”と言われた江川さんの生い立ちから聞かせてください。子どものころ川で石を投げていたって本当ですか?
江川:本当です。
高木:向こう岸まで80メートルくらいあったとか。
江川:正しくは100メートルくらい。小学1年生だと、30メートルくらいしか投げられない。でも投げ続けているうちに、小5くらいで向こう岸まで届くようになった。
高木:小5で!?
江川:うそっぽく聞こえるでしょう。だから話すのは嫌なんですよ。でも本当です。
高木:いやいや信じていますけど。すごすぎますよ。誰かにやれって言われてやっていたんですか?
江川:家に帰るまで暇だっただけです。下校途中に、毎日4、50個は投げていました。
高木:周りから変な子だなって思われなかったですか?
江川:山の中だったので見ているのは猿くらい。猿が証言者ですよ。でも真面目な話、飛距離をだすために研究しながらやっていました。だから私と同じような球を投げたければ、まずは石投げから始めないといけない。
高木:どういうコツが必要だったんですか?
江川:スピンを利かせることで風に上手にのせて飛距離をだすという感じです。
高木:そもそも江川さんって、小学生のころ野球少年だったんですか?
江川:小学生のころはソフトボールをやっていました。
高木:そのときは投手ですか?
江川:サードです。
高木:中学では?
江川:初めはレフトです。エースだった先輩はピンチでコントロールが悪くなる人だった。それで1年の秋に「やってみろ」となって、投手をやるようになった。球は速くなかったけどコントロールはよかった。石しか投げていなかったから投手としての投げ方を知らないままでしたが、それでもバッターを抑えていたから本格的に投手をやることになったんです。
高木:高校には投手として入学したんですか?
江川:中学の途中で父親の転勤があって転校したんですよ。静岡県から栃木県へ。そして新しい学校で県大会に出て優勝しちゃったんです。転校した学校にはエースがいて、私が転校してきたから「どっちがエースなんだ」となった。それが本当に嫌だった。
高木:争いが嫌いってことですか?
江川:そう。先生は最終的に私を選んだから元エースだった人はショートをやることになって……これ後々、大切な話につながるのでちゃんと聞いてくださいよ。
高木:ちゃんと聞いていますよ。今日は江川さんの人生を丸裸にしますから。
江川:転校生が急にエースになるのってやっぱり感じ悪いじゃない。
高木:でもそれって仕方がないですよ。私も転校を繰り返したから気持ちはわかる。
江川:本当? 「申し訳なかった」とか思っていないでしょう。
高木:そんなことないですよ。申し訳ないなと思っていましたよ。それで高校は作新学院高校に入学しますよね。
江川:えっ、もう高校の話にいっちゃうの? 早くない?
高木:時間がないから!
江川:もともとは作新学院高校が志望じゃなかったんですよ。埼玉県の進学校を目指していました。
高木:その話ですか……。
江川:本当なんだから仕方ないじゃない。
高木:「俺は頭いいぞ」アピールはいいですよ(笑)。
江川:なぜかというと、中学生の時に早慶戦を見て絶対に早慶戦に出たいと思った。私の憧れはプロじゃなくて早慶なんですよ。だから進学校なんです。
高木:わかりました。それで作新学院高校に入学して甲子園を目指すことになった。そのときもエースはいたわけですよね。
江川:そこですよ。1年生の私が3年生に代わって投げることになってしまう。
高木:その当時の江川さんの球ってどんな感じでしたか?
江川:球は結構速かったと思います。中3でノーヒットノーランをやっていましたから。そのころから球速はどんどん速くなっていった。もともとコントロールもよかった。
高木:球を捕れないキャッチャーもいたんじゃないですか?
江川:そうですね。捕れない人もいました。
高木:それで、進学校はあきらめて作新学院に入学することに……。
江川:違う違う違う。あきらめたんじゃなくて、作新学院高校でも私は大学受験クラスに入学しました。
高木:そこはいいじゃないですか……。
江川:大事なことですよ。早慶希望は変わっていませんから。
高木:で、そのクラスに入って……。
江川:スポーツ選手として、そのクラスに入ったのは私が初めて。
高木:わかりましたよ……。それで高1からエースになって、高校時代の成績は本当にすごいですよね。
江川:最もすごかったのは高2の夏の県予選。1試合目がノーヒットノーラン、2試合目が完全試合、3試合目がノーヒットノーラン、そして準決勝は10回2死までノーヒットノーランでしたが、結局0-1で負けました。
高木:それは本当にすごい。野球の試合って1試合27個のアウトを取れば終わりじゃないですか。27三振を狙ったことはありますか?
江川:あります。
高木:何個くらいまでいきました?
江川:確か23個か24個しか取っていないですよ。
高木:「しか」じゃないでしょう。謙虚なふりして上からなんだよね。
江川:事実を話しているだけですから。事実を話したらそういう批判を浴びるという。よく誤解されるんですよ。
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p>高木:とにかく当時の江川さんは子どもに見えませんでしたよ。相手はバットをふた握りくらい短くもって、当てるのが精いっぱいという感じだった。
江川:球は速かったからね。相手は打てないからよくバントをしようとしてきた。でもファウルにしかならない。私のカーブは落差がすごいから打者はバットを縦にして構えていた。
高木:さすがにそれはないでしょう。
江川:本当ですよ。縦にしないと当たらないんだから。実際に高2の夏にスクイズで負けたとき、打者のバットは縦でしたから。
高木:伝説によるとバントをしようとして、バットの芯に球が当たってレフト前ヒットになったとか。
江川:それはうそですよ。まず私の球はバットの芯には絶対当たらないから。だからそれはあくまでも伝説ですね。
高木:江川さんと対戦した人に話を聞くと、みんな「投げた瞬間にキャッチャーのミットに球が入っていた」と言いますからね。
江川:それはプロの時ですね。
高木:プロに行く前に大学の話も聞きたい。1973年のドラフトで阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)から1位指名を受けましたが、それを断ったのはなぜですか?
江川:進学です。
高木:本当ですか? じゃあ巨人から指名されていたらどうでしたか?
江川:進学です。
高木:でも早慶って言っていたけど、実際は法政大学に進学しましたよね。
江川:落ちたから仕方ないですよ。
高木:江川さんの口から言えないと思うけど、やっぱり大学には「江川を入れたら裏口じゃないかと言われる」という心配があったと思いますよ。
江川:まあこれは詳しく話せないんですよ。80歳くらいになったら話すかも。
高木:わかりました(笑)。次にいきましょう。やっぱり“空白の一日”についても聞きたいです。当時は大変だったでしょう。記者会見で記者に対して「興奮しないで!」とか言っていましたよね。
江川:あれには理由があったんです。巨人との契約についての記者会見をセッティングしていた時に、いきなり記者の方がどなりはじめたんです。「ふざけたことしてんじゃねえ!」って。それで「興奮しないでください」と言ったら、そこからカメラを回されてしまった。いきなり記者に対して言ったように映ってしまったから印象が悪くなった。
高木:巨人はやっぱり入りたい球団だったんですか?
江川:クラウンライターライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)から指名を受けて、そのときは親戚から反対されました。みんな商売をしていましたから。
高木:やっぱり巨人を敵にしたチームに入ると商売的に困っちゃうんですよね。そんな時代でした。
江川:そう。だからお断りをした。親戚がみんな父親のとこに来て「やめさせてくれ」って言ったんだから仕方がない。
高木:小林繁さんとの電撃トレードもありました。
江川:そこで中学時代の話に戻るんですよ。私はトレードをOKするにあたって金銭トレードだと誰にも迷惑がかからないので、「そうしてほしい」とお願いしたんです。
高木:その発想はやっぱりまだまだ子どもの考えですよね。江川という“金の卵”をお金でゆずるわけがない。
江川:それで結局、小林さんとのトレードになってしまった。
高木:世の中を敵に回しましたよね。やっぱりつらかったですか?
江川:そうですね。
高木:入団後の試合で打たれても野手がゴロをとらないとか。そんな嫌がらせもあった。
江川:まあ、それが普通ですよ。そんな時代でした。
高木:いろんな意味で運命というか、そういう星の下に生まれたってことでしょうね。いま大谷翔平選手がメジャーに行って騒がれていますが、大谷選手をどう見てますか?
江川:彼は打者主体の二刀流だとみています。打者と投手のどちらのレベルが高いかと聞かれたら「打者」だと答えます。
高木:江川さんもバッティングがよかったから、時代が時代なら二刀流をやっていたかもしれない。
江川:たぶん無理だと思う。きつい。
高木:江川さん、きついこと嫌いだもんね。
江川:うん。大谷選手はえらいと思う。でもこのままだと壊れてしまうだろうから二刀流はやめたほうがいい。
高木:メジャーから誘いはあったんですか?
江川:ありましたよ。
高木:米国留学時代に誘われたんですよね。
江川:具体的にどこの球団かは言えませんが、誘いがあったのは事実です。
高木:ドジャースですよね。
江川:なんで言っちゃうかな……。
高木:まあ、いいじゃないですか。もっと聞きたいことがあったのに時間がありません。今度はワインでも飲みながら、ゆっくりやりましょう。
江川:考えときます。
高木:あ、いま思ったけど、子どものときに石を投げてたわりに現役時代(9年間)は短かったですね(笑)。
江川:お金にならないアマチュア時代に精いっぱい頑張りましたからね。この対談みたいにお金にならない仕事をまじめにやるタイプなんです。
高木:本当ですか? じゃあまたやりましょう。
江川:考えときます。
※「空白の一日」とは
法政大学4年生だった1977年秋、江川さんはクラウンライターライオンズの1位指名を拒否し、大学卒業後に米国へ野球留学。翌78年11月21日、野球協約の死角の「空白の一日」をついて巨人と契約した。江川さんを指名したライオンズの交渉権は、同年のドラフト2日前の11月20日で消滅。21日時点では協約上、「いずれの球団にも選択されなかった選手」と巨人は判断して、ドラフト外入団という形で契約した。だが認められず、江川さんはドラフトで1位指名した阪神と契約。その後、小林繁さんとのトレードで巨人へ入団した。(構成・竹内良介)
[出典:「江川卓はドジャースから誘われていた」 驚愕の事実を高木豊が暴露!〈dot.〉(AREA dot.)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180614-00000078-sasahi-spo ]
江川さんが巨人の監督をする日は来るのでしょうか?
その時は、掛布さんが阪神の監督をしてほしいです。
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