林修 初耳「節分の豆まき…ワタナベさんはしなくて良い!?」
2017年1月29日(日)放送「林先生が驚く初耳学!」より
「節分の豆まき…ワタナベさんはしなくて良い」
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ワタナベさんが豆まきをしなくて良い理由とは!?
時代は平安時代。
大江山の鬼退治を行なった人がいます。
源頼光(みなもと の よりみつ)948年~1021年。
源満仲(みなもと の みつなか)の長子であり、源頼信(みなもと の よりのぶ)の兄である源頼光は、平安時代中期の武将。
源頼光が、暴れている鬼を退治しに行く時に、頼光四天王を連れていきました。
頼光四天王…渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武
その四天王の中に渡辺綱という人がいました。
渡辺綱(わたなべ の つな)953年~1025年。
平安時代中期の武将で、武勇を誇った頼光四天王の一人。
この渡辺綱が、暴れる鬼の腕を叩き切りました。
それで鬼の方も「こりゃ、渡辺って奴はとんでもない奴だ。だから渡辺に関わるのはやめよう!」という協定が鬼界の中で結ばれているのだとか。
鬼は退治された武将の名前「ワタナベ」を恐れているので、「ワタナベ」さんはわざわざ、豆まきで鬼を追い出す必要がないのです。
渡辺綱の子孫が多く残る宮城県村田町では、節分の時、鬼を逃がさないために…
「福は~うち~、鬼も~うち~」
と掛け声をあげます。
大江山鬼退治-大江山-より
源頼光一行は、翁に案内されるままに峠をこえ、谷をこえ洞窟に入って行きます。
その洞窟の中は非常に険しいのですが、翁の足が止まる事は無く源頼光たちは引き離されないようについて行きました。やがて明るい所に出ると、翁は姿を消していました。
一行がそれでも先へ進んでいくと、少し歩いた所で老婆が血のべっとりと付いた布を洗っているのを見つけました。
源頼光は「鬼の配下が変化したか」と疑います。しかし、老婆は一行を見つけるなり「ここは鬼の里です。早く御逃げなさい!」と忠告をしてきました。源頼光はその鬼を退治に来たことを話すと老婆は自分は元は貴族の妻であったが鬼の神通力で死ぬことも許されずに下働きをさせられているのだと涙を流して身の上を語り出しました。
源頼光は老婆に鬼の根城を聞くと、老婆の元を後にします。鬼たちの根城に着くと頼光は「道に迷って困っているから一晩泊めてくれないか?」と鬼たちに問いかけました。
すると鬼たちは一行を山伏と思い込み根城へと通しました。
その夜の宴の席で鬼たちは、源頼光一行に女の血を絞った酒やら女の肉やらを進めます。
一行は鬼に怪しまれぬようにと進められるままそれらを口にしました。そうしていると稚児の姿をした酒呑童子が現れました。
傍らには茨木童子、その周りに酒呑童子の四天王である熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子がいます。源頼光はすかさず翁から貰った神便鬼毒酒(神通力をなくす酒)を注ぎに向かいました。
酒呑童子は酌をする源頼光をじっと見つめて「お前は何処かで見たことがある」と疑いましたが、源頼光の注ぐ酒を口にする度にそのような事はどうでも良くなってしまいました。
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p>気分をよくした酒呑童子は自分が鬼になってからの身の上を語りはじめました。
「最初は比叡山に住んでいたのだが、伝教大師が延暦寺を建てて結界を張ってしまったので居れなくなって九州の英彦山に移った。その後伯耆大山・白山・立山・富士山と移り、最後はこの山に移ってきたのだ。最近は伝教大師のような強力な術者がいないので都に繰り出して楽しんでいる」酒が回った酒呑童子は、寝室へと向かいました。
他の鬼たちも酒に酔い潰れています。
源頼光は頼光四天王たちに鬼を皆殺しにすることを命じると酒呑童子の寝室へ忍び込みました。
酒呑童子は神通力を失い稚児の姿から巨大な鬼の姿になっていました。頼光は源氏の宝刀髭切を抜き放つと酒呑童子の首をはねます。
しかし、首だけになっても童子は源頼光の頭に喰らいつきました。
しばらく喰いついて離さなかった童子でしたが、翁から貰った星兜を噛み砕く事が出来ず最後には「鬼は横道などせぬものを(鬼はだまし討ちなどしないものを)」と悲痛の叫びをあげて力尽きました。酔いつぶれた鬼を殺すのは容易く、鬼たちは次々と退治されていきました。
その中でも茨木童子は手強く、酒呑童子が死んでのちも渡辺綱と戦い続けていました。
しかしそんな茨木童子も酒呑童子の首を持った源頼光の姿を見るやいないや逃げ出します。
そうして茨木童子を除き全ての鬼は源頼光一行の手によって殺されました。鬼どもを退治した後は坂田公時が酒呑童子の首を担ぎ、他の鬼を手早く火葬するとさらわれた姫たちを救出して山を下りました。
途中老婆がいた川に差し掛かると血の付いた布をもった人骨が転がっていました。
帰路につく一行が老ノ坂に差し掛かった時、「このような不浄なものを都に持ち込むでない」と地蔵尊に忠告されました。
そのため酒呑童子の首はその場で埋葬されました。その後酒呑童子は自らの過ちを悔い改めて神通力を正しく使い、首から上の病を治す大明神となって人々を救ったということです。
[出典:大江山鬼退治-大江山- 日本昔話紹介(言霊 > http://kotodama.日本伝.com/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%B1%B1%E9%AC%BC%E9%80%80%E6%B2%BB_%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%B1%B1/ ]
橋姫伝説「平家物語剣巻」より
嵯峨天皇の御代に、ある公卿の娘がいた。
あまりに嫉妬深く、貴船の杜に参詣して七日の間籠もり、「貴船神社様、七日間籠もった暁には、私を生きながら鬼に変えてください。妬ましい女を取り殺したいのです」と祈った。
神社の明神は哀れに思い、「本当に鬼になりたいのなら、姿を改めて宇治川に二十一日間浸かれ」と告げた。
女は喜んで都に帰ると人のいないところに籠り、長い髪を五つに分けて五つの角を作った。
顔には紅をさし、体には丹を塗った。
鉄輪を逆さにして頭に載せ、三つの脚に松明を燃やし、また別の松明を口に銜(くわ)えて両端に火を付けた。夜が更け、人少なになると大和大路に走り出た。
南の方に行って見れば、頭から五つの火が燃え上がり、眉は太く、顔も体も赤ければ、その姿はさながら鬼の姿に違わず、これを見た人は魂を食われたようになって気を失い、死ぬという有り様であった。貴船神社に願をかけて生きながら鬼神となった女、これが宇治の橋姫である。
橋姫は妬ましいと思う女、その縁の者、思う男の親族、上下を選ばず、男女も別たず、次々と殺していった。
男を殺すときには女の姿になり、女を殺すときは男の姿になって殺した。
京中の貴賤の者が申の刻以降になると門を固く閉じ、家に人を入れることも、また外に人を出すこともなくなった。その頃摂津の頼光の元に綱・公時・貞道・末武という武士の四天王がいた。
その中でも随一なのが綱であった。武蔵国の美田というところで生まれたため、美田源氏と呼ばれていた。
一条大宮というところに頼光が用事があり、綱を使者に遣わした。
夜陰に及んでいたため、髭切を帯かせ、馬に乗せて遣わせた。
その帰り道、一条堀川の戻橋を渡るときに、東の爪に齢は二十余りと見える女がいた。
肌は雪のように白く、紅梅柄の打衣を着、佩帯(はいたい)の袖に経を持って、一人で南へ向かっていた。
綱は橋の西の爪を過ぎるときに、「一体どこへ行く人でしょうか。我らは五条渡りに行くところです。夜も更けて怖いでしょう。お送りしましょう」と馴れ馴れしげに言った。
綱は急ぎ馬から飛び降り、「お乗り下さい」と言った。
女が「悦んで」と言い終わらぬ間に綱は近くに寄って女をかき抱いて馬に乗せた。
堀川の東の爪を南の方に行くと、正親町へ一二段ほど行ったところで女は振り向き、「本当は五条渡りにさしたる用はなく、私の住所(すみか)は都の外なのです。そこまで送ってはいただけないでしょうか」と言った。
綱は「承りました。どこへでも行きましょう」と答えた。
すると女は元の厳しい鬼の姿になり、「さあ我らが行くところは愛宕山ぞ」と言って綱の髻を掴んで北西へと飛び立った。綱は少しも騒がず髭切をさっと抜き、鬼の手を立ち切った。
綱は北野の杜の回廊の星の上にどうと落ち、鬼は手を切られながらも愛宕山へ飛んだ。
髻についた鬼の手を見ると、雪のように白かったはずが真っ黒で、銀の針を立てたように白い毛がびっしりと生えていた。これを持っていったところ頼光はたいそう驚き、不思議なことだと思って「清明を召す」と播磨の守安倍清明を呼んだ。
「どうしたらよいか」と尋ねたところ、清明は「綱には七日の暇を与えて、その間謹慎させてください。鬼の腕は私が仁王経を読んで封じます」と答えたので、そのようにしたということである。
[出典:平家物語「橋姫伝説」 日本昔話紹介(言霊 > http://kotodama.日本伝.com/%e6%a9%8b%e5%a7%ab%e4%bc%9d%e8%aa%ac/ ]
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