現代と変わらない!? 枕草子に書かれた女心 2017年9月2日 世界一受けたい授業まとめ
2017年9月2日放送の「世界一受けたい授業」より
名作 枕草子に隠された「たくらみ」
徳島県阿波市で、あることを体験できる旅館が若い女性に大人気ですが、それはどんな旅館でしょうか?
それは「平安時代の暮らし」が体験できる旅館です。
寝る場所は、平安貴族の寝殿造。
十二単(じゅうにひとえ)の着付けも体験できます。
そんな古典ブームの影響もあって、清少納言の枕草子を題材にした「枕草子のたくらみ」という本が大ヒット!
枕草子は学校の教科書でも、高貴な世界が書かれていた印象があります。
しかし、「枕草子のたくらみ」によれば、清少納言はイマドキの若い女性と変わらない目線で書いているとのこと。
例えば、彼女にはコンプレックスが、それは…
「髪の毛が曲がってボサボサ」(枕草子原文 髪なども…わななき 散りぼひて)
彼女の悩みはくせ毛。
「髪の毛が目立って恥ずかしい」
(枕草子原文 髪の筋なども…けそうに見えてまばゆけれど)
そして、みっともないことの例として…
「眉毛を抜く時は情けない顔」
(枕草子原文 物のあはれ知らせ顔なるもの。…眉ぬく。)
このように、枕草子は日々の生活を赤裸々に描いたブログやInstagramのようなものなのです。
教えてくれるのは、「枕草子のたくらみ」の著者、京都学園大学 人文学部教授・山本淳子先生(57歳)。
”平安時代も女心は変わらない 名作 枕草子に隠された「たくらみ」”
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清少納言はインスタの女王・渡辺直美!?
実は、清少納言は流行にとても敏感で、今でいうインスタの女王・渡辺直美さんのような存在でした。
枕草子によれば、清少納言の夫はワカメを口いっぱいに頬張って、秘密を洩らさないように我慢しました。
ですから、秘密を洩らしたくなったら「ワカメを頬張る」…
現代人も共感する平安時代あるある「気まずいこと」
「悲しい話を聞いて 周りの人が 泣いている」
(枕草子原文 あはれなる事など 人の言ひ出で うち泣きなどするに)
「でも、自分だけ涙が出てこない時は 気まずい」
(枕草子原文 涙のつと出で来ぬ いとはしたなし)
現代人も共感する平安時代あるある「イラっとくる女性①」
「大した事でもないのに 自分で自分を褒める女性に イラっとくる」
(枕草子原文 ことによしともおぼえぬ… 人のほめなどしたるよし言ふも かたはらいたし)
現代人も共感する平安時代あるある「イラっとくる女性②」
「(彼氏が)昔の彼女を褒めるなんて…イラっとくる」
(枕草子原文 はやう見し女のことほめ言ひ出で などするも…なほ憎し)
現代人も共感する平安時代あるある「イラっとくる女性③」
「出しゃばって自分の話をする人に…イラっとくる」
(枕草子原文 さし出でしてわれ一人さいまくる者… いと憎し)
清少納言はイケメン好き
現代の女性がアーティストのライブやフェスに出かけるように、イベントに出かけるのも大好きでした。
平安時代の人気のイベントは「お坊さんの講義」。
綺麗に整えられた貴族の庭などで、お坊さんを呼んで仏教の教えを聞くイベントです。
清少納言は、イケメンのお坊さんの話を聞くのが好きでした。
「講義をしてくれるお坊さんは イケメンがいい」
(枕草子原文 説経の講師は 顔よき)
「顔を見つめていてこそ お話のありがたさを 感じられる」
(枕草子原文 顔をつとまもらへたるこそ その説くことのたふとさも おぼゆれ)
「ブサイクだと まったく聞く気になれない」
(枕草子原文 憎げなるは 罪や得らむとおぼゆ)
見た目が良くないと、講義の内容も入ってこないと書いています。
イケメンのお坊さんには追っかけもいました。
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清少納言が好きな男性のタイプは3つ
その① 出世した若い男性
「男性は 若い時に出世するのが素敵」
(枕草子原文 男はなほ 若き身のなり出づるぞ いとめでたきかし)
その② オシャレな若い男性
貴族が家でくつろぐ衣装「直衣(のうし)」はさまざまな色がありますが、清少納言は好みがうるさく…
「桜色の直衣はすごく華やかで 文句のつけようがないほど美しい」
(枕草子原文 桜の綾の直衣の いみじうはなばなと… えも言はずきよらなるに)
年齢によって着る色が決められていた直衣。
若者は桜色で、おじさんは白色。
いつの時代も、おじさんのファッションは見向きもされません。
その③ いい匂いがする男性
枕草子に出てくる清少納言と交流のあった藤原斉信(ただのぶ)とのエピソードでも…
「簾に斉信様が寄りかかっていた時の香りといったら」
(枕草子原文 簾に斉信の中将の 寄りゐたまへりし 香は)
「もう本当にホレボレしちゃった」
(枕草子原文 まことに をかしうもありしかな)
「どんな配合のお香を使っているのかしら」
(枕草子原文 その物の 香ともおぼえず)
清少納言が枕草子を書くきっかけ
清少納言が仕えた一条天皇の妻・定子様は、才色兼備な人格者。
清少納言は彼女に憧れていました。
仕えてしばらくすると、清少納言は定子様と対立する藤原道長に寝返ったと疑われ、同僚からイジメを受け、里に帰ってひきこりになりました。
心配した定子様は「気晴らしに、この紙に大好きだった文章でも書きなさい」と、清少納言に当時高級品だった紙を送りました。
そのとき彼女が書いたのが「枕草子」、定子様と過ごした雅な平安文化の記録です。
枕草子を読んだ定子様は…
定子様「これはスゴイ!みんな読んでみなさい」。
貴族「これは傑作だ!」
貴族「枕草子って面白い!」
明るく楽しい内容は、自分の手元に置いておきたいと次々に書き写され、瞬く間に平安貴族一家に一冊と言われるベストセラーになりました。
こうして、定子様と過ごした雅な平安文化の記録は、現代にも伝わっているのです。
清少納言が枕草子を永遠に読まれる本にするためにした工夫とは?
それは「政治のことを一切書かない」ということでした。
995年4月、定子様の父親が亡くなりました。
新たに権力を持ったのが藤原道長。
定子様は立場が弱くなり、藤原道長に迫害を受けます。
定子様の世話係をしていた清少納言は、天皇家をとりまく政治的な問題を、いつも間近で見てきました。
もし見てきたことを下手にそのまま書くと、藤原道長に焼き捨てられてしまいます。
そこで、枕草子を後世に残すためにあえて、道長の悪口を一切書かず、明るく楽しい政治的に無害な作品に仕上げたのです。
実は、清少納言は枕草子を、大好きな定子様のために書いたのです。
定子様の理想的な姿を残したい、なので、つらかったことは書かないで、楽しかったことだけをあえて書いたのです。
恨みやつらみは、かみ殺していたのです。
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