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北朝鮮「スパイ術」で日本の警察をかく乱した主婦

投稿日:2017年12月28日 更新日:

前回日本で生まれ育ったのに「北朝鮮工作員」にされてしまう若者たちの続きです。
ロシア人スパイの妻は、ただの主婦ではなかった…
以下より引用させていただきます。
北朝鮮が使う「スパイ術」で、日本の警察組織をかく乱した主婦がいた(竹内 明)

北朝鮮が使う「スパイ術」で、日本の警察組織をかく乱した主婦がいた 私が出会った北朝鮮工作員たち 第5回 竹内 明 2017.11.05

アメリカとの言葉の応酬がエスカレートし、戦争の不安も高まる北朝鮮。
しかし、北朝鮮の脅威はすでに、あなたの隣に迫っているかもしれない……。
日本にも数多く潜伏している北朝鮮の工作員たち。
彼らはいったい何者で、どんな生活を送っているのか。
公安警察や元工作員への取材を重ねてきた報道記者・作家で『スリーパー 浸透工作員』の著者でもある竹内明氏が、日本に潜む工作員たちの実像に迫ります。

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そのスパイ手法は、すでに浸透している…

警視庁公安部の捜査員は、東京都の旅券事務所からこんな相談を受けたという。

「ある男性が旅券の申請にきたのだが、すでに旅券が発行されていた。似ても似つかぬ別人が旅券を入手している」

「背乗り」事案か――。
背乗りは「はいのり」と読む。

公安警察の用語で、工作員や犯罪組織の構成員が他人の身分を乗っ取って、その人に成りすますことを指す。
相談を受けた捜査員は、届け出住所から旅券を入手した男の勤務先を割り出した。
都内に構えられた事務所には、怪しげな男たちが出入りしていた。

徹底した「行確」、つまり行動確認によって、捜査対象を調べ上げるのが公安捜査の手法だ。
だが、事務所に出入りする男たちは尾行を警戒し、「点検」を繰り返す。

電車の発車直前に飛び降りたり、飛び乗ったりする。
歴戦の公安捜査員でも「失尾」(尾行に失敗)してしまうのだ。

やつらは、北の工作員ではないのか――。
こんな考えがよぎったという。

だが、粘り強く尾行を続けると、この男たちの正体が見えてきた。
捜査員は、こう明かす。

「やつらはパソコンの大量注文をかけては、倒産を装って代金を支払わず、仕入れたパソコンを売りさばいていた。
名前がころころ変える、正体不明の男たちだった」

男たちは「取り込み詐欺」を繰り返すグループだったのだ。
主犯格の男宅を捜索すると、6冊の日本パスポートが出てきた。

写真は同一人物なのだが、名前はそれぞれ異なっている。
しかし、いずれも真正旅券だった。

男は6人もの別人に背乗りしていたのだ。
なりすましの被害にあった人々による調査をかいくぐるために、名前を変えながら生活していた。

「被害を受けた男性のひとりは、金に困っていた時期があり、知り合いを通じて戸籍を売ったことがあるという。
被疑者は、ブラックマーケットからその戸籍を買っていた。
逮捕歴のない、旅券の申請歴のない人物の戸籍は高く売買されるらしい。

工作員? あいつらは違うよ。
北朝鮮やロシアの工作員は、こんなドジはしない。
絶対に本物が現れないよう、連れ去るか、殺すか、だ」(公安捜査員)

この公安捜査員が「北朝鮮やロシア」と並べて指摘したことには、意味がある。
北朝鮮の工作機関と旧ソ連のKGBは、同じスパイ手法を使うのだ。
公安捜査員はこう続けた。

「北朝鮮の工作機関と旧ソ連のKGBのつながりが深い。
留学などによる人的交流もあったし、軍事交流もあった。

KGBは時には北朝鮮と友好的に振る舞い、時には北朝鮮に工作をしかけた。
そんなKGBのノウハウが、北朝鮮の工作機関に取り入れられている」

KGB式の工作手法とはいかなるものか。
今回は日本で発生した「黒羽一郎事件」のケースを詳述していきたい。

CIAからの極秘情報

「ロシアのスパイである黒羽一郎という名の日本人が、日本国内でアメリカの軍事情報、日本の産業情報を収集する諜報活動をしている」

捜査の端緒は、CIAから警察庁にもたらされた極秘情報だったという。
その極秘情報によると、男の名は「黒羽一郎(くろば・いちろう)」。
ただちに、警視庁でロシアを担当する公安部外事一課(ソトイチ)が動いた。

黒羽一郎は、1930年4月6日、福島県西白川郡矢吹町生まれ。
東京・練馬区の自己所有のマンションで、妻・日出子(仮名)とともに暮らしていることになっていた。

しかし黒羽は1995年2月に中国・北京に向けて出国して以来、日本に帰国していないことがわかった。
ソトイチは練馬区のマンションに住む妻・日出子を監視下に置いた。
黒羽との接触をつかむためだ。

捜査員は幹線道路を挟んだ向かい側の古いマンションの一室を拠点として借り上げ、妻・日出子が生活する部屋を24時間態勢で視察することにした。
同時に、ソトイチは黒羽一郎の生い立ちを辿った。 

一郎の母親タカは、一郎が矢吹国民学校に入学する直前になって出生届を提出している。
父親はおらず、タカは造り酒屋で、住み込みで働いていた。

タカが与えられた仕事は、経営者夫妻の二人の子供の世話係だった。
子供たちは当時、「不治の伝染病」と恐れられていた結核を患っていた。
タカは一郎とともに、離れに住み込んで24時間の介護をしていたのである。

黒羽母子は貧しく、一郎は小学校を卒業するとすぐに、地元矢吹町の歯科医院で、歯科技工士として働き始める。
まもなく郡山市内の歯科医院に転職、生活のためにこつこつと働いていたが、慢性中耳炎がもとで片耳の聴力を失ってしまう。

苦難の人生を送っていた一郎に小さな幸せが訪れる。
1958年、28歳のときに地元で出会った中田照子(仮名)と恋愛し、小さなアパートで二人の生活を始めたのである。

照子は両耳の聴力がなかった。
当然のことながら二人の間の物理的な会話は存在しなかったが、周囲には実に幸せそうに見えたという。

1960年、苦労して一郎を育て上げた母親タカが亡くなった。
その後、一郎は照子との会話のない生活空間の静寂に耐えられなくなっていった。

この頃、職場の同僚たちは「家に帰りたくない」と一郎がつぶやくのを何度も耳にしている。
黒羽一郎が忽然と姿を消したのは、1965年6月13日のことだ。

朝起きた一郎は突然、スーツに着替え始め、照子に手話でこう伝えた。
「友達と山に行く」

当時、一郎は35歳。
そのまま二度と照子のもとに帰ってくることはなかった。

照子は一郎を必死で探し、警察に捜索願を出したが、「事件性なし」と判断されてしまった。
周辺の人々は、一郎が生活に疲れて家出したのだと考えたという。

宝石を売るやり手セールスマン

しかしその後、戸籍だけが動いていたことは誰も知らなかった。
失踪から4年後の1969年、黒羽一郎は新宿区高田馬場に分籍、新宿区戸塚町に住所を移転したのである。

その6年後の1975年、一郎は、東京新宿出身で6歳年下の大村日出子と結婚、中野区に分譲マンションを購入して転居している。
さらに1985年には、練馬区にタイル張りの外壁を持つ瀟洒なマンションの9階の部屋を購入、再び転居した。

ソトイチの特命班は「黒羽一郎」の足跡を丹念に追っていった。
すると黒羽が失踪翌年の1966年冬、東京赤坂に姿を現していたことがわかった。

彼は赤坂の宝石会社に勤務し、真珠のセールスマンとして活動を開始していたのである。
得意先は各国の大使館員で、英語、ロシア語、スペイン語と複数の言語を操るやり手セールスマンとして活躍したのだという。
その人物像は、歯科技工士として働いていた頃の一郎の姿とは、まったく重ならないものになっていた。

その後、一郎はさらに奇妙な活動を開始した。
海外に長期滞在していた危機管理会社の社長の留守宅の管理人となり、敷地内に無断でプレハブ小屋を建築。
「黒羽製作所」なる看板を掲げて、パチンコ機械の製造を始めたのである。

社長が帰国したあとも、家賃を滞納したまま居座り続けた一郎は、社長から立ち退き訴訟も起こされていた。
ソトイチは、一郎を直接知る数少ない人物である、この危機管理会社社長を事情聴取した。

すると、この社長がかつて、関東軍情報部で対ソ連電波傍受を担当していたことが判明した。
また、中野のマンションの近所の住人は、特命の聞き込みに対して、一郎が「いつも海外旅行をして、大型車を乗り回していた」と証言した。

判明した「背乗り」

ここまでの外形的な事実を見ると、一郎は35歳まで歯科技工士として贅沢もせず、寡黙に働いていたが、妻を捨てて突然上京。
複数の語学を短期間に習得してセールスマンとして活躍、あらたに東京出身の妻を娶り、都内にマンションを購入できるまでになっていたことになる。

だが捜査員たちがその激変の本当の意味を確信したのは、「黒羽一郎」が1992年6月29日に在オーストリア日本大使館で、旅券の更新手続きをした際に提出した顔写真を見たときだったという。
それは、歴戦のスパイハンターたちも息を飲む驚きだった。

写真にうつっていたのは、線が細く弱々しい印象だった福島時代の一郎とはまったく違う、たくましい顎をした体格のよさそうな男だったのだ。
整形手術をしても不可能なほど、骨格からしてすべてが違う、別人の顔だった。

このとき、捜査員たちの脳裡にはじめて、「背乗り」という手口が浮かんだのだという。
対ロシアを担当するソトイチの捜査員たちが驚いたのは、日本人への背乗りは、顔が似ている北朝鮮の工作員が日本国内で使う手法だと考えていたからでもあった。
まさか、ロシアのスパイが日本で使うとは考えてもいなかったのだ。

「黒羽一郎は朝鮮系ロシア人の『イリーガル』である」

ソトイチはこう結論づけた。
「イリーガル」とは、諜報対象国の国民に背乗りして諜報活動を行う、非合法工作員のことである。

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「ラインN」を追え

実は、黒羽一郎が「山登りに行く」と言い残して行方不明になった2ヵ月後、ある男が在日ソ連大使館に三等書記官として赴任していた。
V・P・ウドヴィン。
KGBの機関員だ。

ウドヴィンは、その後も対日諜報のベテランとしてたびたび東京に赴任。
そのたびにソトイチによって不審行動が記録されていた。

たとえば、1965年8月から1970年12月まで三等書記官として駐在した際には、ソトイチが追尾している中で、深夜の郊外の住宅街をあてもなく歩いたことが記録されている。
この最初の駐在が、黒羽一郎失踪直後の時期に当たる。

1977年4月から1981年10月までの2度目の駐在時にも、やはり人気のない神社仏閣を徘徊するという謎の行動が確認された。
いずれもエージェントと接触する際の動きと考えられたが、決定的な証拠は見つからず、ウドヴィンは尻尾を出さない。
札付きの男として捜査員たちの間で知られるようになっていた。

黒羽一郎事件とウドヴィンの接点が明らかになったのは、1993年10月1日からウドヴィンが一等書記官として3度目の東京の地を踏み、駐在していたときだった。
すでに冷戦体制は崩壊し、KGB第一総局が分離独立し、SVRと名前を変えたあとのことだった。

CIAの情報を得たソトイチの捜査員が、「黒羽一郎」と名乗っていた男の妻・日出子の視察中に、ウドヴィンの姿を目撃したのである。
ウドヴィンは練馬区のマンションの周りを車で行き来していた。
これは何を意味するのか――。

他人に背乗りしたイリーガルが、単独で行動するのはリスクが大きい。
その安全管理を担うのが、外交特権で守られた大使館所属のSVR(KGB)機関員=「レジデント」である。
ロシアの場合、大使館に置かれた支局は、大きく4つの班に分かれているとされる。

ラインPR:政治情報収集
ラインX:科学技術情報収集
ラインKR:防諜業務
ラインN:イリーガル支援

この中の「ラインN」の機関員が、イリーガルのリスクを徹底的に排除し、連絡を担当し、サポートを行う。
日本警察に監視されていないか、イリーガルの周囲を点検・警戒するのも彼らの役目なのだ。

つまり、ウドヴィンはラインNの機関員として、「黒羽一郎」の妻・日出子を監視する者がいないか周囲を点検していたのである。
ソトイチがウドヴィンに気づいたように、ウドヴィンもソトイチの監視をつかんだのだろう。

「黒羽一郎」が先手を打ってきた。
1997年6月、ロシアの在サンクトペテルブルク日本総領事館に「黒羽一郎」を名乗る人物が姿を現し、旅券を再更新したのだ。

彼女は、ただの日本人妻ではなかった

ちょうどこのころ、望遠レンズを装着したビデオカメラを使って練馬のマンションの室内を監視していたソトイチの捜査員が、日出子の決定的な行動を撮影することに成功した。
イヤフォンを耳に入れた日出子が、一見すると洗濯ロープかとも思えるコードのようなものを手に持って、室内に張り巡らせていたのである。

だが天気の良い日に、洗濯物を室内干しにするわけがない。
ソトイチは、日出子の耳に差し込まれた「イヤフォン」から、ひとつの結論を導き出した。

「日出子は、本国からの指令電波を受信しようとしている。彼女もエージェントとして訓練されているに違いない」

同じ時間帯に、ロシアからの「電波」が飛び交っていたことも確認された。
ソトイチはついに、強制捜査を決断した。

内偵開始から1年、1997年7月4日のことだ。
この日の日出子に特異動向はなかった。

この1年間、24時間態勢で完全秘匿による行確を行ったが、夫・一郎が彼女に接触してきたことは一度もなかった。
外形的には夫と別れて暮らしているごくふつうの主婦だった。

「警察です。ご主人の件で捜索をします……」

一郎の旅券法違反容疑での捜索差押許可状をかざして踏み込んだ捜査員は、日出子の激しい抵抗にあい、いったんは押し出されそうになったという。
だが、制止を振りきって室内に入り、箪笥や机の引き出しに直行した。

家宅捜索では、「乱数表」「短波ラジオ」「換字表」などスパイ七つ道具とも呼ばれる器具類が見つかった。
これらは一郎が、モールス信号による5桁の数字を短波ラジオで受信し、乱数表で翻訳してロシアの指令を解読するために使っていたものと推定された。

さらに、数字を羅列した日出子の筆跡のノートも発見された。
やはり彼女自身もエージェントとして訓練され、ロシアからの暗号指令を受けていたのだ。

日出子は夫から「開けるな」と命じられた箪笥の引き出しには手をつけていなかった。
誰かが開けた場合にはわかるよう、すべての引き出しに、糊で髪の毛を貼り付けて封印がなされていたという。

捜査員たちは、見られていた

捜査員にとって悩ましかったのは、日出子の取り扱いだった。
長時間にわたる調べに対して日出子は「夫がロシア人スパイだなんてまったく知らなかった」と頑強に否定した。
だが、マンションの近隣住民は日出子の不審な行動を目撃していた。

「奥さんは旦那さんが出かける前に降りてきて、あたりをきょろきょろと見回していました。
まるで、誰かが監視していないか確認しているかのようだったんです。
奥さんが部屋に戻ると、その後、旦那さんが出かけていました」

日出子は夫の指示で「点検」もしていたのだ。
それだけではなかった。
マンションの捜索で、「ある物」が発見されたとき、ソトイチの捜査員たちは顔色を失った。

それは、大量の写真だった。
日出子が撮影したと見られる捜査員たちの顔写真だ。

伝統の追尾技術に絶対的な自信を持っていたソトイチの捜査員たちは、この「ごくふつうの主婦」によって、秘匿追尾中の姿を撮影されていたのである。
彼女は追尾する捜査員に気づくと、脇の下やハンドバッグの陰に隠した小型カメラを使い、後ろを振り向かぬまま、シャッターボタンを押していたのである。
完全秘匿で行っていたはずの尾行は、SVR式訓練を受けた主婦にばれていたのだ。

黒羽宅の捜索から2週間後の1997年7月17日、ソトイチは外務省を通じて在日ロシア大使館のウドヴィンに、事情聴取のための出頭を要請した。
しかし外交特権を持つウドヴィンは、要請を無視して、すぐに帰国してしまった。

「背乗り」を解明したソトイチは、「黒羽一郎」に成り代わった、氏名不詳のイリーガル機関員に対する逮捕状をとった。
そしてICPO(国際刑事警察機構)に対して国際情報照会手配を要請して、国内での事件捜査を終結させた。

一郎に「背乗り」していたイリーガルと、サポート役のウドヴィンはロシアに帰国して、いまでも本国の庇護のもと暮らしているのだろう。
もうスパイを引退しているかもしれない。

友人と山に行くと言って姿を消した本物の黒羽一郎氏が生存していることは、残念ながらまず、ないだろう。
失踪から17年後の1982年にソ連で死亡し、墓が存在するという情報もある。

元KGBの非合法機関員、つまり「イリーガル」として米国・ニューヨークで活動したジャック・バースキー氏は、私の取材時にこう語っていた。

「私の場合、ワシントンDCのソ連大使館のKGB機関員が、10歳で死亡した子供の出生証明書を手に入れて、私はそれを受け取りました。
その出生証明書を使って、図書館のカード、社会保障カード、運転免許、旅券を入手しました。

こうして私は自分の身分を合法化して、就職しました。
KGB本部が私にくれた活動資金は7000ドル。

最初はメッセンジャーのアルバイトから始め、その後、大学に通いました。
私は本国では大学院を卒業して学生を教えていたのに、米国人として生活するために、もう一度大学に通ったのです」

英語圏の機関員の間では「背乗り」を「リーガリゼイション(legalization、合法化)」と呼ぶそうだ。
米国では「出生証明書」は国籍を証明する重要書類だ。

日本は「戸籍」が狙われる。
標的となるのは本物の黒羽一郎氏のように身寄りのない者だ。

旧ソ連やロシアの諜報機関の場合、大使館に派遣されたスパイが、あとからやってくるイリーガルがなりすますための身分を選定し、ターゲットとなった対象人物は欺かれて国外に連れ去られたりするケースもあった。
この「背乗り」という手法が、北朝鮮の工作機関に取り入れられ、見た目では区別のつきにくい、同じ東アジアの国民である日本人を対象に行われるのだ。

「日本で北朝鮮工作機関が『背乗り』を行う場合、対象者の選定は、在日の補助工作員が本国からの指示を受けて行うとみられる」(公安捜査員)

警察庁の資料によれば、統計を始めた昭和31(1956)年以降、平成27(2015)年まで日本の行方不明者数は8万~10万人規模で推移し、8万人を下回ったことはない。(https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/fumei/H27yukuehumeisha.pdf)
このうちの何人が、背乗りの被害に遭っているのか、あるいは行方不明者としてカウントすらされないうちに身分を乗っ取られた人が何人いるのか。

いずれにしろ確かなことは、工作員たちは実際に日本に浸透し、活動しているということだ。
私たちにできることは、まずそうしたスパイたちの存在を知り、その手口を知ることで、身近にも潜んでいるかもしれない諜報機関の脅威について、冷静に考えていくことではないだろうか。

[出典:北朝鮮が使う「スパイ術」で、日本の警察組織をかく乱した主婦がいた(竹内 明)現代ビジネス(講談社 > http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53412 ]

家出や失踪が、実は「背乗りの被害」なのかも知れない…
松本清張の小説に出てくるような話ですが。
小説や映画の話ではなく、現実にこの日本で起こっていることが、なんとも恐ろしい話です。

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