「バブルが生んだぶっとび伝説」やりすぎ都市伝説SP 2017夏
2017年6月30日放送、「やりすぎ都市伝説SP 2017夏」より
平野ノラプレゼンツ
「バブルが生んだぶっとび伝説」
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バブルとは?
バブルとは、日本中が好景気に沸いた1980年代後半から1990年代初頭を言います。
当時は、太眉・ソバージュ・ワンレンボディコンの女性たちが「お立ち台」の上で扇子を振って踊っていた、日本中が少しおかしかった時代でした。
どれほど日本中がおかしかったかと言うと…
【N.Yロックフェラーセンターを、日本の企業が約2200億円で買収】
【ロールスロイスの全生産数の約3分の1を日本で販売】
【日本の土地価格が高騰し、東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるほどだった】
芸能界のスターもすごかった
平野ノラがリスペクトする田中美奈子さんは、表参道で100万円単位の買い物をしていたと。
当時の美奈子さんの合言葉は、「みんなでリッチマン」。
また、言葉を反対にする言葉、いわゆる「業界用語」が六本木で流行っていました。
それを全国に流行らせたのが「とんねるず」。
とある雑誌が発表した、20年間の納税額をもとにした生涯所得ランキングには、石橋貴明さんが2位にランクイン。
推定生涯所得が74億円!(鉄骨飲料で言えば7400万本!)
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とんねるずと美空ひばりさんの秘話
破天荒なエピソードが絶えないとんねるずを愛した大物歌手が、昭和の歌姫・美空ひばりさんでした。
息子の加藤和也さんがもともと、とんねるずの大ファンということで交流するように。
「タカさん」「ノリさん」「おじょう」と呼び合うほどに仲良くなり、とんねるずのラジオ番組・オールナイトニッポンにもひばりさんが出演したことがあるとか。
そしてこのとき、とんねるずが出した曲「雨の西麻布」が大ヒット、ひばりさんもこの曲が大のお気に入り。
「私もこの曲を作った人に曲を書いてもらいたい」と言ったひばりさん。
そして「雨の西麻布」を作ったのは、「作詞・秋元康」「作曲・見岳章」。
この2人が作ったのが、ひばりさん最後のシングルで代表曲にもなった「川の流れのように」でした。
とんねるずが引き合わせた運命的な出会い。
とんねるずが存在しなければ、「川の流れのように」は誕生しなかったのかも知れません。
信じるか信じないかは、あなた次第です!
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