お笑いと俳優の二足の草鞋を履くアンジャッシュの児嶋一哉さんですが、インタビューでコンビの解散を決めた日の夜を語っています。
アンジャッシュ児嶋が明かす「コンビ解散を決めたあの日の夜」
“テレビっ子”児嶋一哉インタビュー #1
結成25年のアンジャッシュ。
児嶋一哉さんが「相方・渡部建」のこと、「先輩・くりぃむしちゅー」のこと、そして危機を救ってくれた恩人のことを語ります。
テレビっ子インタビュー、聞き手はてれびのスキマさんです。(全3回/#2、#3に続く)
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p>『ボキャブラ』ブームにギリギリ乗っからせてもらってたコンビ初期
―― アンジャッシュさんは『ボキャブラ天国』、『爆笑オンエアバトル』、『エンタの神様』と、90年代、2000年代のお笑いブームを担った番組に出演し続けてこられました。まずは『ボキャブラ天国』の頃を振り返ってみると、どんなことを思い出しますか。
児嶋 『ボキャブラ』はコンビになってから3年目とかの頃で、僕らはあのブームにギリギリ乗っからせてもらってた印象なんですよ。
何の活躍もしてないし。
とにかく先輩のすごさを目の当たりにしてただけですね。
本当に何もできなかった。―― 先輩のすごさというと、たとえば……。
児嶋 例えば海砂利水魚さん。
今でこそ有田(哲平)さんはインパクトを残すタイプかもしれないけど、大勢の若手芸人の中で目立つコンビではなかったはずなんです。
だけど、確実に笑いをとって結果を残している。
それがスゲーなと思いましたね。
僕らはふわふわとして何もできないまま終わってしまうから、いつも消化不良でした。結成前のネプチューンと戦っていた『アーバン寄席』
―― 芸人としての駆け出しは、ライブ出演からだったんですよね?
児嶋 事務所の先輩、ブッチャーブラザーズさんが主催してた『アーバン寄席』っていうのがあるんですけど、それが僕らの初舞台です。
新人コーナーがあって、そこで2回優勝したら「1本ネタ」をステージでかけることができた。
その1本ネタがその月で一番良かった人には、高信太郎さんが「高信太郎賞」をくれる。―― 漫画家で芸能評論家の高さん。
児嶋 そうです。
受賞者の絵を描いてくれるんですけど、それを目指して頑張ってましたね。
くりぃむしちゅー……当時の海砂利水魚とか、ネプチューン結成前の名倉(潤)さんがいたジュンカッツと、堀内(健)さんと原田(泰造)さんのコンビ・フローレンスとかが相手ですから。
なかなかのメンバーでしたね。―― 当時は児嶋さんがコントの台本を作られていたんですか。
児嶋 最初の最初はそうでしたけど、すぐにふたりで作るようになりました。
それである程度経ったら作家さんとかも入って。
今はもう渡部中心ですよね。「すれ違いコントはパクリなんです、完全に(笑)」
―― アンジャッシュといえば「すれ違いコント」ですが、生まれたきっかけみたいなものはあるんですか。
児嶋 ジュンカッツさんが『アーバン寄席』のネタ見せでやったコントです。
街の公衆電話がバーッと並んでいる場所でのコントで、電話をしに来た全然関係ないふたりの会話がいつの間にかリンクしちゃうというネタ。
無茶苦茶カッコいいし面白い! と思って、僕らでもやり始めたんです。
パクリなんです、完全に(笑)。
いや、リスペクトだな。
ジュンカッツはその後、そういうネタの方向に行かなかったんですけど、僕らはそのネタで勝ち抜きライブ優勝したりして、「この方向じゃね?」って。―― それ以前はどんなネタを書いてたんですか?
児嶋 さまぁ~ず(当時はバカルディ)さんに憧れて、ボケとツッコミのシンプルなネタをやってたんですけど、なんかいつも60点、65点ぐらいの笑いで。
さまぁ~ずさん的なものは、ボケのセンス、ツッコミのパワーがないと成立しないんです。
僕らはそこまでの技量がなかった。
そこがよくわかってなかった。―― デビュー以来の先輩後輩の関係は、まだ続いているんですか?
児嶋 特にくりぃむしちゅーのおふたりには昔からお世話になってます。
まさに『ボキャブラ』の頃に僕が上田(晋也)さんちに居候させてもらったり、渡部は有田さんにお世話になったりしてたので、より近くで見てた先輩ですね。
『ボキャブラ』のネタを一緒に考えたりしてましたもん。―― 『ボキャブラ』はネタの時間が短いじゃないですか。それはフリの長いコントを得意とするアンジャッシュさんにとっては……。
児嶋 全然別物でしたね。
かといって、番組に寄せていくほど割り切れてなかったのかもしれない。―― 90年代に『ボキャブラ』に出演した芸人たちは、大半がライブで一緒にやってきたメンバーだったと思うんですけど、周りの変化をどう見ていましたか。
児嶋 わかりやすいのは「あいつ車乗り始めたな」とか、「いいとこに引っ越し始めたな」とかいうことですけどね。
話に出てくる言葉も変わってきて、「今からどこどこの局で」とか。
でも一番大きいのは、表情とかオーラの変化だと思う。
上田さんにしても、有田さんにしても、こっちが勝手に感じてただけかもしれないけど、存在感が変わっていく気がしてましたね。ナメてかかった『オンエアバトル』
―― 2000年代のお笑い番組といえば『オンエアバトル』が大きいと思います。
1回目から出られているんですよね。児嶋 1回目は出場したんですけど、落ちてオンエアされなかったんですよ。
ホント、今思えば生意気なんですけど、結成して6、7年目だし、ライブシーンではかなりのお兄さん的なキャリアだったし、会場では絶対ウケて優勝できるくらいのポジションだったんです。
それなのに、なんで後輩たちと番組で競わなきゃなんないのと、ナメてたんですよ。
それで様子見ってことで本ネタじゃないショートコントをやったんです。―― なるほど。
児嶋 そしたら見事に落っこちた。
その時オンエアされた後輩に北陽がいたんですよ。
はっきり言ってネタの完成度が売りのコンビじゃないでしょ(笑)、なのに北陽に負けたのが、めちゃくちゃショックで。
ただ幸運なことに、NHKさんが「アンジャッシュが落ちた」ってことをネタにして、第2回のチャレンジまでを追う特集を組んでくれたんですよ。―― おぉ、それだけの期待があったんですね。
児嶋 それで次はトップ合格。
そこから始まりましたね、僕らの『オンエアバトル』が。
『M-1』、『キングオブコント』もそうですけど、ああいう勝ち抜き系番組が始まると、それを区切りに辞めるコンビもいっぱい出てきますけど、僕らもそれぐらいの思いでやってました。
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p>ネタ自体を直されることに抵抗した『エンタの神様』
―― アンジャッシュの知名度が上がったと感じたのは『オンエアバトル』でしたか。
児嶋 たしかに『オンエアバトル』でチャンピオンになれたのは大きいんですが、知名度が爆発的に高まったなって感じたのは『エンタの神様』です。
―― 『エンタ』は『オンエアバトル』の4年後にスタートして、2000年代のお笑いをリードしたもう一つの番組ですよね。
日本テレビ・五味一男さんの独特な演出もあって高い視聴率を獲得していましたが、五味さん流の演出に関してはどう思ってましたか。児嶋 最初は嫌でしたね。
テロップをつけられたり、ネタをこう直してくれと言われたりとか。
それまで、ネタ自体を直されるなんてことなんてなかったので。
別にダメだったら番組に出さなきゃいい。よかったら出してくださいというのが基本でしたから。
だからけっこう、あの頃は戦ってましたね(笑)。―― 五味さんと直接やり合うんですか。
児嶋 いやいや、基本は担当ディレクターと戦うんです。
だから担当のDは板挟みで可哀想なんです(笑)。
シャレ半分で渡部が、「ちょっと児嶋、五味さんに言ってこいよ」って言うから、交渉に行ったことありますよ。―― 渡部さんは行かない(笑)。
「もうちょっと下ネタを入れてくれないかな」
児嶋 五味さん、和やかな人なので、直接会うと関係は緩まるんです。
もちろん、番組と出演芸人をよりいいものにしたいからこそ考えてくれているわけで、話をすれば分かり合える。
だからめちゃくちゃ感謝してますよ、五味さんに。
変わった注文を受けたことはありますけど。―― どんなことですか?
児嶋 「もうちょっと下ネタを入れてくれないかな」って言われたことがあるんです。
―― へぇー。ゴールデンタイムの番組なのに。
児嶋 全体を見る人の考え方なんでしょうね。
番組全体の構成を見た時に、今回は下ネタがあんまねぇなって思ったんでしょう。
でも露骨な下ネタだめじゃないですか。
それで僕らなら、すれ違いネタでストレートではない「下ネタ展開」が期待できると。―― 全体のバランス感覚ですね。
児嶋 五味さんと好対照な人が、藪木(健太郎)さんっていう、今、フジテレビの『ENGEIグランドスラム』とかをやってる人ですね。
若手の頃にCSのフジテレビの番組で、エレキコミックとか、アメリカザリガニとかと一緒に仕事をした方なんですけど、藪木さんは一切ネタに口出ししない人。
ディレクターは見せ方撮り方のプロ、芸人はネタのプロって、線を引いているんだと思います。解散を考え、踏みとどまった結成9年目のある夜
―― 1度解散を考えたことがあるそうですが、それって結成してからどれくらいの時期だったんですか。
児嶋 9年目ぐらいかな。
『オンエアバトル』に出てた頃って、『オンバト』以外に仕事がほとんどなかったんです。
結構仕事やってきてるのに、全然お金ないし、仕事ないし、借金だらけだし。
『バカ爆走!』っていう人力舎のライブが毎月あるんですけど、ここに向けて新ネタを作る。
まぁまぁウケた。あぁよかった。
でも別の仕事はない、2人とも借金増えてく。
それでまた次の月のライブがくるからネタ作る。
あぁウケた。その後仕事ない。
これ何なんだろうなってだんだんなってきて。
ちょっとおかしくなってくるんですよね。
ずーっと辛いんですよ。ネタ作りも辛いし。
仕事ないのも辛いし。
もう、一回離れたくなっちゃったんですね。
それで明日ネタ作りで渡部に会う時に、言おうと思って。
そう決めて、「解散しようって言おうと思う」って当時同棲してた今の嫁さんに言ったら、「いやちょっともったいないよ。ライブとかでウケてるのに」って。
でも、こっちはもう聞く耳持たなくなってたので、嫁さんが、仲が良かった先輩芸人、X-GUNの西尾(季隆)さんに連絡したんですよね。
西尾さん、夜中の2時くらいなのに来てくれて。「いやいや、やめたらあかん」「『オンバト』でもすげーウケてるやん。お前らがやめるんやったら、俺らが先にやめなあかんわ」みたいなことまで言ってくださって。
あぁ、もう先輩がそこまで言ってくれるんだから、ってとりあえず踏みとどまったんです。―― 次の日は予定通り、ネタの打ち合わせに?
児嶋 あー、覚えてないですけど、そうでしょうね。
前の日にそんなことがあったのに、ネタ作りには行ったんですよね。
全然集中できてなかったと思いますよ、たぶん。―― 解散を考えた時って、次に何をしようみたいなことも考えつつだったんですか。
児嶋 いや何も考えてないです。
ただとにかく一回、ここから離れたい。辛い。それだけでしたね。「あのタイミングで児嶋がそれを言ってたら、たぶん解散してただろう」
―― それを渡部さんが知ることになるのは。
児嶋 それから何年か経ってからですね。
取材だったか、テレビだったかちょっと忘れちゃったんですけど、実はこういうことを考えていたんだってことを話しました。―― それを聞いて渡部さんは何と言いましたか?
児嶋 「あのタイミングで児嶋がそれを言ってたら、たぶん解散してただろう」と。
止める理由はなかったって言ってましたね。―― ちなみにその後、2007年に渡部さんが生放送のラジオ帯番組を持つことになった時はどんな気持ちになりましたか?
児嶋 ああ、あの時は本当に仕事なかったんで、そりゃ受けるだろうとしか思わなかったな。
その分、コンビでの仕事が減るかもしれないから複雑っちゃあ複雑だったけど、コンビの仕事自体もそんなにできてない頃だったし。
もちろん焦りもありましたよ。
だから正直「よーし、やって来い!」とまでは言わなかったし、かといって「おい、だめだよ!」とも言えないし。―― 解散の危機から15年以上が経って、おふたりの現在の立ち位置を、児嶋さん自身はどういう風に思っていますか?
児嶋 うーん……、まぁなんかお互いやりたいこととか、コンビとしてのキャラクターがはっきりしてるので、いいと思いますよ。
昔は、どっちがボケでどっちがツッコミかわかんない、同じ背格好の、特に何もないふたりだったのに比べれば全然いいですけどね。
渡部はしっかりしててグルメで、高校野球詳しくて、嫁さんきれいでとか、なんかあるじゃないですか、ポイントが。
僕は真逆で全然メシのこともわかんないけど、色々みんなにいじられたりとか、ポジションが与えられたというか。
当然のことなんですけど、やっぱ「知られてる」状態になるまでが本当に大変なんですよね、この世界。
解散を考えてた頃には夢にも思わなかったですよ、みなさんにこんなに知っていただけるようになるなんて。写真=平松市聖/文藝春秋
#2 アンジャッシュ児嶋「ヒロミさんに弟子入り志願した思い出」
http://bunshun.jp/articles/-/7055#3 結成25年アンジャッシュ 本人が語る「児嶋だよ!」で見つけた“居場所”
http://bunshun.jp/articles/-/7057こじま・かずや/1972年、東京・八王子市生まれ。
人力舎のお笑い養成学校「スクールJCA」の1期生。
93年、高校の同級生である渡部建と「アンジャッシュ」を結成。
俳優としても活躍し、黒沢清作品『トウキョウソナタ』『散歩する侵略者』、園子温作品『恋の罪』などにも出演。
日本プロ麻雀協会第3期プロ試験合格の「プロ雀士」でもある。
[出典:アンジャッシュ児嶋が明かす「コンビ解散を決めたあの日の夜」(文春オンライン > http://bunshun.jp/articles/-/7054 ]
コンビでくりぃむしちゅーのお二人のところに居候していたとは驚きでした。
コンビ解散を止めてくれた先輩がいたり、人に恵まれてた感じがしました。
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