「横綱 稀勢の里を育てた男の執念」やりすぎ都市伝説SP 2017夏
2017年6月30日放送、「やりすぎ都市伝説SP 2017夏」より
キンボシ・西田淳裕プレゼンツ
「横綱 稀勢の里を育てた男の執念」
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横綱・稀勢の里を形作った「ある一人の元横綱」
今、空前の大相撲ブーム。
先場所も、高安が新大関になりました。
その高安の兄弟子であり、大相撲ブームの最大の立役者ともいえるのが、第72代横綱の稀勢の里ではないでしょうか?
19年振りの日本出身横綱として一躍日本中のスターとなりました。
そんな稀勢の里は、最近の力士では珍しいほど「真面目な性格」で知られています。
今年の3月場所、左肩に満身創痍のケガを負った状態で優勝した直後に、インタビュアーが稀勢の里に「今、一番したいことは何ですか?」と質問。
その問いに「けいこです」と即答した稀勢の里でした。
そんな真面目な横綱・稀勢の里を形作ったのが「ある一人の元横綱」だったことをご存知でしょうか?
第59代横綱・隆の里、先代の鳴戸親方
それが、「第59代横綱・隆の里」。
中学を卒業したばかりの稀勢の里が相撲の世界に飛び込んだ時の師匠、先代の鳴戸親方です。
実はこの鳴戸親方、圧倒的なスパルタ指導で知られている人物でした。
例えば、新弟子同士の会話で「お前、どこの部屋?」という会話になった時、「鳴戸部屋」と答えただけで、周りの力士がドン引きして震え上がるほどでした。
では、鳴戸部屋の指導とは、どのようなものだったのでしょうか?
普通、3~4時間でへとへとになる稽古を、時に1日10時間以上、休憩なしというのがざらにあったそうです。
当然、ちょっとのケガで休むことは許されません。
たとえ指が折れていたとしても、「指が取れたわけじゃないんだから」と言って、そのまま稽古させられました。
そんな鳴戸部屋には、稽古以外にも厳しい掟がいくつかありました。
門限は夜の9時半。
もちろん、幕内の関取であっても絶対厳守です。
しかも部屋は千葉だったので、実質東京では飲めなかったと言われています。
また、他の力士と仲良くなることも禁止でした。
「余計な馴れ合いが生じる」という理由で、出稽古を禁止していました。
そんな鳴戸親方が、稽古や私生活の管理以上に、異常なほどのこだわりをみせていたものがありました。
それは「ちゃんこ」です。
鳴戸親方は、新弟子時代に体を大きくしようとして無理な食生活をしてしまい、19歳のときに糖尿病になってしまいました。
それ以来、体作りに大変苦労したそうで、弟子たちに同じ思いをさせまいと、ちゃんこに並々ならぬ情熱を注いでいたのです。
鳴戸親方のちゃんこに対するこだわり
そのこだわりは、まず親方自ら築地などの市場に出向き、全国のあらゆる食材を吟味していました。
そんなこだわりから、弟子にしてみれば食事の時間も壮絶な時間でした。
まず、ちゃんこ当番になったが最後、親方の納得する味になるまで、何度も何度も作り直しさせられるのは日常茶飯事でした。
ちゃんこに関してはどんな粗相も許されませんでした。
あるとき、鳴戸部屋が青森で合宿を行なったとき、弟子がいつも使うおたまをうっかり忘れてきてしまいました。
それを知った親方は鬼の形相になり、「あのおたま以外でうちのちゃんこの味が出せるか」と一喝。
そのおたまを、青森から千葉の部屋までわざわざ取りに帰らせました。
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そんな過酷な鳴戸部屋なので、ほとんどの力士が一度や二度、脱走を図ったと言われています。
しかし、一度も逃げ出さなかった力士がいました。
その力士が、横綱・稀勢の里でした。
つまり、鳴戸親方のちゃんこを誰よりも食べていた力士こそ稀勢の里だったのです。
鳴戸親方は、そんな稀勢の里の将来を非常に楽しみしていました。
しかし、2011年、愛弟子の横綱昇進を見ぬまま、突然他界してしまいました。
奇跡を起こした見えない力とは?
そんな稀勢の里が、横綱として初めて臨んだ今年の3月場所。
左肩に絶望的な大ケガを負いながらも、横綱昇進直後の優勝を勝ち取りました。
横綱ともなれば、今までの環境もがらりと変わり、プレッシャーもさらに大きくなるので、横綱昇進直後の優勝は、過去にたった3人しか成し遂げていない偉業です。
その3人というのが「大鵬」「貴乃花」そして「隆の里」、そう鳴戸親方です。
この難しい記録を、あのケガを負った体で達成するのは、常識ではちょっと考えられないのです。
稀勢の里本人も場所後のインタビューで「見えない力を感じた」と語っています。
この奇跡を起こした見えない力こそ、鳴戸親方の厳しい稽古と、自分と同じ偉業を達成させたいという弟子への思いがつまったちゃんこかも知れません。
信じるか信じないかは、あなた次第です!
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