本当は怖~い百人一首 2018年1月27日 世界一受けたい授業まとめ
2018年1月27日放送の「世界一受けたい授業」より
百人一首に選ばれた人は「悲惨な目にあった人」が多い
シリーズ完結編、映画「ちはやふる―結び―」が3月17日に公開。
話題の少女漫画が映画化され、多くの人が楽しむようになった競技かるたですが、そこで詠まれているのが百人一首。
実はこれ、鎌倉時代の歌人・藤原定家(ていか)が親戚に「ふすまを彩る装飾品が欲しい」と言われ、自分の好きな100人の和歌を色紙に書いて贈ったもの。
歌を詠んだ人物は、源氏物語の作者・紫式部や、枕草子の作者・清少納言など、飛鳥時代から鎌倉時代の有名人がずらり。
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実は百人一首に選ばれた人は「悲惨な目にあった人」が多いのです。
そのため、ドロドロとした怖~い感情が歌に込められているのです。
こうした和歌を現代風に意訳し、わかりやすく解説してくれるのが、百人一首を英訳し、日本翻訳文化特別賞を受賞した東京大学非常勤講師・ピーター・J・マクミラン先生。
”現代風に超意訳 本当は怖~い百人一首”
百人一首 第77首 崇徳院(すとくいん)天皇
崇徳院(すとくいん)天皇は、謀反の罪で都から追い出されたのが悔しくて、舌を噛み切り、のちに怨霊になって関係者を呪い殺したと言われる怖い方です。
ちょっと怖い性格の持ち主「右近(うこん)」
平安時代、鷹の調教師の娘に生まれ、皇后さまにお仕えした右近(うこん)は、今風に言えば「粘着女子」。
彼女は執着心が強くて、過去の恋愛相手のことをいつまでも引きずる女性だったのです。
若い頃、右近は、イケメンエリートの藤原敦忠(ふじわらのあつただ)に口説かれましたが、実は敦忠は有名なプレイボーイ。
「神に誓って、君を愛し続けるよ」
などと言いながら、「ごめ~ん、右近ちゃん。新しい彼女できちゃった」と右近を捨て、他の女性と交際を始めたのです。
そんな元彼に対して送った歌がこちら。
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
(忘れられた私の事はいいが、愛してると誓った)
人の命の 惜しくもあるかな
(命を失うと思うと、惜しいわね)
元彼の敦忠は、その後 38歳という若さで亡くなったと伝えられています。
右近の呪いかも知れません…。
当時は、生霊やもののけの存在が信じられていたため、男性が死んだ理由も天罰だと噂されたのでしょう。
「右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)」
政界の実力者・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)と結婚し、息子にも恵まれた美人で教養の高い女性・右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)。
しかし彼女には、ある悩みが…。
それは夫の浮気癖、手当たり次第といった有様。
そんな浮気夫に送った歌がこちら。
嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは
(悲しみながら、独り寝る夜が朝まで続く)
いかに久しき ものとかは知る
(どれ程長いものか、わかりますか?)
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実は道綱母(みちつなのはは)は浮気夫に対し、こっそり21年間も行っていた復讐がありました。
それは、夫に対する恨みつらみを「日記に書き続けた」、今流行の「だんなデス・ノート」です。
右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)の歌には、激しい怒りの感情が表現されています。
「嘆きつつ」の「つつ」は、繰り返し嘆いていると強く訴えた言葉です。
「いかに久しき」の「いかに」は、どれ程長いものか!と怒りの程度を強調した言葉なのです。
しかし兼家(かねいえ)は、家に帰ってきた後、懲りずにすぐ別の女性に向かったそうです。
彼女の著書「蜻蛉日記(かげろうにっき)」を見ると、夫の手紙入れから、他の女性に宛てた手紙が見つかったというエピソードが書かれています。
しかもその手紙の最後に「私は全部知っている」と、わざわざ書き足したそうです。
他にも、「蜻蛉日記(かげろうにっき)」には、召使いに旦那を尾行させたとも書いてありました。
「小野小町(おののこまち)」
絶世の美女として知られる小野小町。
実は高慢な女性で、しかも悲惨な末路をたどったと言われています。
若い頃の小野小町は、自分の容姿を武器にして男性をもてあそぶ、ちょっと困った女性でした。
小野小町は、家柄の良い御曹司・深草少将(ふかくさのしょうしょう)に言い寄られた際に、あるおねだりをしたという伝説があります。
それは「100日間、毎日通い続けたら結婚してあげる!」というもの。
しかし、二人の屋敷は8キロ近く離れていて、当時としたら遠距離恋愛でした。
それでも彼は、遠い道のりをせっせと行き来し、結婚できる日を夢見て通いつめたのです。
しかし99日目、無理が祟ったのか、道中で力尽きて死んでしまったのです。
そんな良くない噂が残る小野小町が、齢(よわい)を重ね、年老いて詠んだ歌がこちら。
花の色は 移りにけりな いたづらに
(花の色があっけなく、色あせてしまった)
我が身世にふる ながめせしまに
(私が長い年月、物思いにふける間に)
絶世の美女も、寄る年波には勝てず、最後は人知れず野垂れ死にした、との言い伝えが残っています。
京都にあるお寺には、小野小町が朽ち果てる様子を描いた想像図が保管されています。
最初は白い肌をしていますが、徐々に体がふくらみ、肌が黒くなっていきます。
やがて皮膚が裂けると、オオカミや鳥が群がりはじめ、次第に白骨化していく様子が生生しく描かれているのです。
「儀同三司母(ぎどうさんしのはは)」
忘れじの 行く末までは 難(かた)ければ
(「いつまでも忘れない」とあなたはおっしゃいますが 将来の事はわからないので)
今日(けふ)を限りの 命ともがな
(幸せな今 死にたいわ)
「人の心は変わるかも知れないから、幸せなまま死にたい」という熱烈な愛の歌です。
その後、その男性の正妻になり、3人の子どもに恵まれたそうです。
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