ホントは怖い!?童謡に隠された秘密 2018年2月17日 世界一受けたい授業まとめ
2018年2月17日放送の「世界一受けたい授業」より
童謡「ぞうさん」は”悪口の歌”!?
子どものころ、みんなで楽しく歌った童謡。
実はその裏には、深い意味があるのを知っていますか?
【童謡「ぞうさん」】
子どもが子ゾウに話しかけている様子を歌っていると思われがちですが、作詞者 まど・みちおさんによると、「動揺『ぞうさん』はね、子ゾウが人間の子どもに鼻が長いねと悪口を言われている様子なんだよ」と、悪口の歌だったのです。
しかし子ゾウは、鼻が長いことに引け目を感じるどころか、「大好きな母さんも長いんだ」と言い返し、鼻が長いことを誇りに思っているのです。
つまり、ゾウがゾウであることに誇りを持って生きている事をテーマにした歌なのです。
「童謡の本当の意味を知れば、今までとは違うように聞こえてきます」
教えてくれるのは、”童謡研究のスペシャリスト”、岡崎女子大学 子ども教育学部教授・上田信道先生(64歳)。
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♪てるてる坊主
1番はよく聞いたことがあると思いますが、実は「てるてる坊主」は3番まで歌詞があります。
1番と2番では、晴れたら褒美をあげるとなっていますが、3番には晴れなかった時のことが書いてあります。
作詞をした浅原鏡村(きょうそうん)によると、「子どもは普通に虫を殺してしまう、そういう子どもの残虐性を取り入れたんだ」と。
♪ふしぎなポケット
この歌は、「ぞうさん」と同じ作詞者 まど・みちおが作詞しました。
他にも、「♪一年生になったら」「♪やぎさんゆうびん」なども作っています。
不思議なポケットが作られたのは、終戦から9年後の1954年。
世の中はまだまだ食糧難の時代でした。
当時45歳のまど・みちおには2人の子どもがいました。
子どもの雑誌を作る仕事をしていたまど・みちおでしたが、給料がまともに支払われず、生活はかなり苦しいものでした。
童謡に出てくるビスケットは、当時はなかなか手に入らない貴重なお菓子でした。
苦しい生活ながらも、想像力によって、言葉の世界で遊んだのです。
♪赤とんぼ
夕やけ小やけの小やけとは一体、どんな意味なのでしょうか?
実は、小やけには、特に意味はありません。
曲のリズムをとるためにつけられた言葉なのです。
例えば、「♪おうま」に出てくる”おうまのおやこは なかよしこよし”の「こよし」には意味がありません。
実は「♪赤とんぼ」は、悲しい実体験に基づいて書かれた詩でした。
作詞した三木露風は、5歳の時に両親が離婚し、子守りのお手伝いさんに育てられました。
負われ、つまり背負ってくれたのはお母さんではなく、子守りのお姉さんのことだったのです。
3番に出てくる「姐(ねえ)や」は、育ててくれた子守りのお姉さんのことで、15歳でお嫁に行き、もう連絡がとれなくなったという、悲しい思い出が書かれていたのです。
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♪赤い靴
「♪赤い靴」は、実在の女の子をモデルに書かれた歌だと言われています。
モデルとなったのは、「岩崎きみ」という女の子。
きみは3歳の時、アメリカ人の宣教師夫婦の養子に出されました。
その話をきみの母親から聞いた作詞者の野口雨情は、アメリカで暮らしているきみをイメージして「♪赤い靴」を書いたのです。
しかし、実際のきみはアメリカには行っていませんでした。
実は、当時不治の病と言われていた結核に侵されてしまったのです。
そのため、長い船旅には耐えられないと判断した宣教師夫婦は、きみを児童養護施設に預けました。
その後きみは、9歳で亡くなってしまったのです。
当時児童養護施設があった麻布十番、それからきみちゃんと縁の深い北海道や横浜に少女像が建っています。
♪手のひらを太陽に
この曲は、誰もがよく知っている「ある有名人」が書いた詩の歌です。
それは「アンパンマン」の作者・やなせたかしさんです。
実は、この歌詞が出来た時にやなせたかしさんは、漫画家として行き詰っていました。
1961年、まだアンパンマンが誕生する前のこと。
やなせさんはすでに漫画家でしたが、漫画の仕事はほとんどなく、テレビの作家や雑誌のインタビュアーなどをこなしていました。
このとき描いていたのは主に「4コマ漫画」。
しかし時代は、長編のストーリー性のある漫画に移行していきました。
そのためやなせさんは、自分の漫画に行き詰まりを感じていました。
そんなある日、冷たくなった手にふと懐中電灯を当てると、手が光に透けて赤く見えるのに気づきました。
「自分に元気はなくても、血は元気に流れているんだなあ」
そして生まれたのが「♪手のひらを太陽に」の歌詞でした。
発表から4年後の1965年、小学6年生の音楽の教科書に掲載され、全国の子どもたちが大好きな歌になりました。
やなせさんが、自分自身を励ますために作った歌だったのです。
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